架線切断の謎

さて、東京では高崎線が架線切断で広範囲の路線がストップしたみたいですが、
停車位置誤り架線を切断…通勤・通学帯のJR5時間不通
鉄道技術マニア的にはこの事件は結構興味深い事件です。

まず、電車に電気を送る方法としては直流と交流の二種類があります。主に交流は高電圧の送電に適しており、地方の在来線では20000ボルト、新幹線では25000ボルトで饋電*1しています。一方、直流は低電圧での送電に適しており、大都市圏の主なJR・私鉄は直流1500ボルトを架線に通電しています。では、なぜこのような使い分けをしているのでしょうか。

直流にしても交流にしても高電圧だと、同じパワーを送る時に電流値を抑えることが出来ます。これは電力P=VI=RI^2(V:電圧、R:抵抗、I:電流)という式からすぐに理解することが出来ます。饋電電圧が高いと、電流Iは低くなるのです。架線というものはできるだけ抵抗を低くするような材料を使って作られてはいますが、超電導などではなくて普通の金属を使っている以上、多少の抵抗rを持っています。電流Iが小さいと、この架線での電圧降下rI^2が非常に小さいため、変電所から10km以上離れた場所に送電を行っても殆んど電圧が下がらず、一定の電圧を電車に供給することが出来ます。ところが、高電圧で電気を供給することはできても、電車のモータにはそんな高電圧(数万ボルト)は流すことが出来ません。そんなことをすればモータの巻線が絶縁破壊を起こして焼き焦げてしまいます。したがって、実際の電車のモータに電力を供給する際は、電圧を変換して1500ボルト程度に一旦落としてやる必要があるわけです。

電圧を変換するのに有利なのは交流です。直流饋電では電圧を落とすためにはチョッパなど特殊な半導体技術が必要で、どうしてもコスト面やノイズという面で問題が残ります。しかし、交流饋電では電圧は変圧器一つで変えることができるので、変換装置も比較的小型で澄みますし、ノイズのことをあまり気にする必要はありません。したがって、高電圧で送電する際は殆んどの場合が交流、低電圧で送電するときは殆んどが直流になります。

これまでのことをまとめると

  • 鉄道への電気供給は直流と交流がある
  • 交流は高電圧送電、直流は低電圧送電に使われる

で、なぜ地方が交流で、都市が直流が多いのかということですが、これには2つの大きな理由があります。一つは安全面の問題で、都市というのは雑多なものが沢山あり、せいぜい地上6mほどにしかない架線に高電圧を流すのは危険です。したがって、直流低電圧により饋電がメジャーになります。一方、地方では線路際にそんなに雑多なものがあることも多くはなく、高電圧を流してもあまり危険性は増大しないといえます。これが一つ目の理由。
もう一つはコストや効率の問題です。大都市圏では非常に多くの電車が走行します。これらの電車に求められることは大量の乗客をスピーディに輸送することです。そのためにはできるだけ不要な設備は取り付けず、車両の軽量化と定員数の増加を図る必要があります。交流は変圧器一つで電圧を変えることができるから便利であると先ほど書きましたが、それでも変圧器は一般的に重く、比較的大掛かりな設備になってしまうことは間違いがありません。こういうものを通勤電車一つ一つにつけていてはお金もかかりますし、重さも重くなる、乗客が乗れるスペースも小さくなるということで、あまり頭のいいやり方とは思えません。それならば、そんな設備をつけずに変電所で低電圧にしておいて、車両はそれを直接モータに供給するだけにすればいいじゃないか、ということで大都市圏ではモータに直接電気を流しても問題がない低電圧の直流を利用しているわけです。

結局、電力会社から送られてくる電気は交流ですから、どこかで交流を直流に変換する必要があります。それを運行車両数が多いため、変電所で一括してやってしまうのが大都市の直流饋電、運行車両数も少なく、長距離を一つの変電所でまかない、直流変換を車両ごとにやってもらおうというのが地方や新幹線の交流饋電であるわけです。

さて、ようやく今回の本題に入ることが出来ます。
先ほども説明しましたように、高電圧交流饋電では電流が低くなるため、架線での電圧降下を小さくすることができ、長距離区間を一つの変電所からの電力供給でまかなうことが出来ます。でもこれは裏を取れば、直流低電圧饋電では電流が高くなるので、架線での電圧降下が大きくなり、一つの変電所でまかなうことが出来る距離はせいぜい数kmにしかできないということと同じです。もしも、10km以上も離れた場所から低電圧直流で電気を供給すると、1500ボルトのはずの電圧が架線における電圧降下によって1000ボルト程度になってしまうこともあります。

興味のある方は、一度単線の直流区間で電圧の変化を観察してみてください。他の電車が動いていなければ、電圧値は低い値から変電所付近では高い値へ、そしてまた低い値へという動きをします。だいたい、一番低いところで1350ボルト、高いところで1600ボルトぐらいになっているはずです。

ということで、直流低電圧饋電では5kmに一箇所ぐらい変電所を設けて、そこから電気を供給してやる必要があります(逆に言えば、これだけ多くの変電所を作らないといけないからこそ、直流は運行本数の多い大都市向けであるともいえる)。ところが、違う変電所から供給された電気の電圧はもちろん、1500ボルト前後に設定はされていますが、全く同じとは限りません。特に最近はブレーキエネルギーを電気に変換して架線に戻す電力回生ブレーキが流行っていて、電力回生をしている電車が近くにいるとその饋電区間の電圧が大きく変動することがあります。2つの饋電区分の間を電車はどうやって走行すればいいのでしょうか。

地方在来線の交流では2つの変電所間で電力位相がずらされていることもあり、デッドセクション(交交セクション)と呼ばれる全く電気を通さない2、300mほどの区間を設けて、その間は加速などは一切せず、蓄電池の電気で車内電力(蛍光灯とか)をまかなう形式が一般的です。大昔はデッドセクションの間は蛍光灯が消えて、非常灯だけがついていたのでデッドセクションだとすぐにわかったのですが、最近では蓄電池の能力も優れていて、蛍光灯も点灯したままなのでデッドセクションの通過を感じることは殆んどありません。なお、直流と交流の境目にも同じようなデッドセクション(交直セクション)が存在します。

直流では、大都市圏であり5kmごとにセクションがあるため、このように電気を完全に止めるようなセクションを設けることはできません。そこで、問題のエアーセクションという方式を使って饋電区分を分けています。
架線の継ぎ目でショートか? JRの停電事故
このセクションの間だけ、架線は2本張られています。それぞれ隣の変電所から供給されている電圧が異なる可能性が高い架線です。そして、そのセクションの間を列車(パンタグラフ)が通過すると、電気をとめることなくセクションを通過することが可能になります。ただし、問題が一点だけあります。通過の瞬間は二つの饋電区分がパンタグラフによってつながってしまうことです。この記事にもあるように、通常は高速で通過するため、セクションをパンタが通過しても一瞬の軽い電圧変動があるだけで、特に問題になるようなことはありません。しかし、長時間セクションの間にとどまったり、低速走行しながら加速などでかなりの電力を消費している状況で、このセクションを通過すると数十〜百ボルト程度の電圧差がある2電線がパンタを介してショートされる状態となるため、もともと抵抗値の低い架線には電圧の高い側から低い側に向かって大きな電流が生じ、特にセクションへの進入時、退出時に接触状態が良好とはいえない架線とパンタの間でアークを発生させながら大量の熱を発生します。それが長時間続くと架線が解けて今回のような溶断事故となるわけです。

実は同種の事故は結構昔からよくあり、JR東日本もこの問題について技術研究を行っています。
アークによるトロリ線溶断現象の解明
最近では2004年に横須賀線で同種の事故がありましたし、交流区間でも昔の新幹線ではBT饋電という方式を用いていたためによく似たような事故がありました。少し種類は異なりますが、出力6000kWを誇るEF200が大量の電流を消費しながら低速でセクションを通過したため、セクション部に大電流が流れて変電所が短絡事故と勘違いして饋電を緊急停止してしまい、EF200の出力が抑えられたというような事故も起きています。電車においてはセクションでの通過は結構やっかいな存在なのです。

今回の事故はおそらく、色々な問題がありますが、僕自身の考えとしては次の二点が問題点・改善点になると思います。

  • 当該信号機に停止位置標識が存在していたか?
  • 存在していたとするなら、赤信号の時は運転士に信号停止位置で常に停止するように指導していたか?

セクションがありますよという表示だけでは、赤信号による停止など運転士が他のことに気がそれるような状況では不十分です。むしろ、安全な位置に信号停止位置標識を設ける方が運転士にとっては分かりやすく、ミスも起こしにくいと思われます。

*1:送電することを鉄道電力分野では饋電(きでん)と言います