KYF

AKYは「あえて空気よまない」の略語で、場の雰囲気に振り回されないという意味があるようです。ただ、単に「あえて空気よまない」だと単なる意地っ張りにしか見えないこともあるでしょうから、僕はそれよりさらに上位レベルとしてKYFを提唱したいと思います。すなわち、「空気読めないふりをする」です。

政治的意図があるときはそういう手法も結構使われる気がしますね。本当は空気を読んでいるのですが、空気を読んでしまうと自分の意図とは逆の事が起こったり、判断が紛らわされるので、あえて読めないふりをしておくと。そして「トンデモ」とか言われつつ、着実に自分の意図となるよう計画を実行すると。まぁ、なかなかそううまくは行かないのが人間ですが。でも、そういう人じゃないと過激な改革は進められんでしょうね。感情を殺すことができないと。マインドコントロールがカギでしょうか。

ある意味、KYFのときにKYと勘違いして食って掛かってくる人を見るとニヤッとしたりします。あんまり、こういうことを書くとお互いが疑心暗鬼になるのでよくないんでしょうが。でも、結構常套手段のような気がしますね。KYF。しかもKYFを続けると、次第に勝手にマインドコントロールができてきて、KYと批判されても何も感じなくなってくるという恐ろしさ。やってる方からすると結構楽しいですが、やられたらたまったもんじゃないでしょうね。暖簾に腕押し状態。しかも、ボーっとしているただのKYとは違う恐ろしさがある。

ある意味、陰謀論というのはこういう側面を見た人から出てくるのかもしれません。僕は単なるシステムエラーだと思ってますが。本人には単純な考えしかなくて、陰謀を企てている気は毛頭ないですからね。ただ、人間が持つ自然な防衛機制とマインドコントロールによる無意識のKYF、周囲の環境要因の作用であたかも陰謀のように見えてしまうわけですね。

なぜそういうことがわかるかって?自らの身に覚えがあるからです。ただ最後はどうしても感情に流される口なので、完全に任務を遂行することが出来ないのが欠点ですが。管理職ってのはむずかしいだろうと思いますね。特に大勢の直属の部下を抱えていると。感情がなければどんなに楽だろうと思った回数は数知れずです。

しかしながら、東京の友達に「あなたには日常生活の愚痴を漏らしたくなる雰囲気が出ている」と言われたんですが、僕がたまに実行しているKYFと関係はあるんでしょうかね。いっつも「君は精神科に向いているんじゃない?」とか言われるんですが。まぁ、人の愚痴を聞くのはそこまで嫌ではありませんが、あんまり聞いていて気分がよいものではありません。ただ、愚痴の聞き役をしていると、色んな人の色んな不満が見えてきてそれはそれで興味深いですけどね。