理論武装が不十分

昨日は地区の医師会長が「皆保険の重要性」というテーマで大学で講義をしてくださいました。内容は歴史を踏まえて非常に面白かったわけですが、せっかくなのでちょっと質問をしてみることにして見ました。
「皆保険を守ることの重要性は大変よく分かったのですが、近年少子高齢化でますます医療費が増大することが予想される中、皆保険の保険料すら払えない人も多数出てきています。今後どうやって皆保険の財源を確保していくのですか?」
「これは国のお金の配分の問題です。国の医療に対する考え方が変われば増税しなくても確保できます」
「具体的にはどうするのですか?」
「国には一般会計と特別会計があります」
「確かに特別会計は200兆円ぐらいありますね」
「その特別会計では私たちが調べたところによるとかなりのムダがある。それを回せばいいのです。それでも足りないというのなら消費税などの議論がありますが、増税したらいいと思います」
「確かに役人が特別会計で浪費をしていることもあるでしょう。しかし、かならずしも単なる浪費とは限らないのではないですか?たとえば無駄な道路や施設を作る、だとしてもそこには雇用が生まれ、地域への経済効果が少なからずあるはずですが」
「だからこの問題は国の考え方次第なのです。国の考え方次第ですべてが変わります」
「だから国民的議論が必要と?」
「そうです」
「ありがとうございました」

せっかく答えてくださったので、あえて批判をする気はないのですが、最後の方がどうも精神論重視になってしまっていて、詰めが甘いなぁという印象を受けました。たしかに僕自身も「地方の立派な道路や意味のない施設に金を回すなら社会保障にまわせ」という意見は持っていますが、その政策を具体的にやるとすれば、当然地域の土建屋や政治家、施設の波及効果で生活している地域住民などから猛烈な反対が来ることは十分に予想されます。そのなかには昨今の道路財源の議論でも垣間見られるように「施設を奪うことで地域の経済をズタズタにするのか」というような指摘もあるでしょう。「道路から医療へ」という意見を通したい以上、精神論だけでなくそのような反発にも耐えうる理論武装も必要です。(たとえば施設の建設費を医療クラーク雇用に回した方が地域への経済波及効果は大きいというようなデータを示してみるとか。本当かどうかは分かりませんが)ネット上での医療関係者の議論を見ていても、その辺がどうも不十分なように感じます。もちろん、不満があるのはよくわかりますし、それで「そうだそうだ」となるのはいいことだとは思いますが、実際にそれが業界の外で通用するためにはある程度批判的な意見にもさらす必要があるのではないかと思います。