灰色が理解できる人が少なくなった

皆さん、昨今のテレビ等を見てこの世の中どうもおかしいんじゃないか、と感じたことはないでしょうか。たぶんここに100人集めて手を挙げさせたら90人以上は手を挙げるでしょうね。

でも一体何がおかしいのか?ということを議論し始めると、途端に意見はバラバラになります。対立する意見が続出し、喧嘩が始まってもおかしくないでしょうね。ただ、一つだけ皆が納得出来ることといえば、それだけ人の考えというのは多様であり、一つの問題に対しても捉え方や立場によって白黒つけがたい部分があるのだということでしょうか。私はこれを灰色の部分(ある意味でのグレーゾーン)と捉えています。

かつて、日本ではこの灰色の部分が公的にも私的にも容認され、灰色なんだからウヤムヤにしておくという習慣が多かったと思います。賭け事にしても額が数万から数十万ぐらいなら警察も介入してきませんし、発覚しても処分になんかならなかったわけです。万引きとか着服なんかにしても数百円、数千円なら上司や警官に怒られて返させられて終わり、というケースが多かったのでした。人間誰しも小犯罪ならやっちゃうことはあるという考えと、犯罪は犯罪なのだからという相対する考えの間にある灰色の領域を認めていたわけです。ところが今や下らないちょっとしたことで、免職だとか書類送検だとかいうのが増えています。

他にもこういった灰色領域が失われていると思える事例は多数あります。人によってはクリーンな社会になったと喜ぶ人もいるでしょうが、「清すぎる川には魚は住めない」という側面があるのも事実です。

今の社会は暮らしにくいか、という質問をさっきの100人にしてみると、これまた70人以上は手を挙げるでしょう。それは単に雇用の問題や景気の問題だけでなく、ちょっとしたことで自分の地位を完全に失うかもしれないという将来への不安が増大していることとも関連があります。

まるで地雷原の中を歩くような社会では、安心して生産的な活動など出来るはずもありません。生産的な活動ができなければ景気も低迷するでしょう。そして景気の低迷は人々の心の余裕を奪い、灰色という目の前の小さな不確実性をも許容しがたくなります。その結果、ますます地雷原を増加させてしまうという悪循環に陥るのです。

私は過去と比較しても、もっと社会は汚くていいと思いますし、灰色領域を復活させるほうがよりよい社会を作れるのではないかと考えています。

西洋医学のメリット・デメリット

twitter上で交わされたNATROM先生と想田先生のバトルは非常に興味深いものがありました。たまたま両者をフォローしていたので少し首を突っ込みましたが、医者と患者の基本的な対立構造がネット上の大思想家の間でも繰り広げられた様子を見て、どこか諦めに似たものを感じてしまったのでした。

ちなみにNATROM先生は内科医、想田先生は以前紹介した「精神」という映画(私は新開地の映画館で観ましたがDVDが出たそうですね)の監督です。

事の発端はホメオパシーに関する報道です。どこかの助産師が母乳栄養の新生児に対して一般的には投与されているビタミンKのシロップを投与せず、ホメオパシーの薬?を投与してサブドラ等の出血で乳児が死亡したという事件ですね。ビタミンKシロップ?と思われた方は勉強してみてください。母乳との関連も知っていて損はないです。

ここの登場人物は私も含め誰もホメオパシーを信じてはいないのですが、想田先生が指摘するところによると、「西洋医学絶対主義に陥った報道の仕方をしているのではないか」という問題があります。確かに記事を見るとホメオパシーは怪しげな宗教のような書かれ方をされており、西洋医学的に正しいことが全てだというような印象は受けますね。その指摘に噛み付いたのがNATROM先生と。

まあ確かにホメオパシーを題材に議論すると西洋医学絶対主義でいいんじゃねぇのという気もしますが、一般的にツボとかの東洋医学を含め様々な代替医療を考えるときに、本当に西洋医学絶対主義でいいの?是非は別にして、少なくとも自分たちがそういう幻想に陥っているという自覚はすべきではないか、という問題はあると思います。医療従事者も含め。

これは決して想田先生だけが思っていることではないんですよね。実は少なからずの患者・国民が西洋医学に対して何らかの不信感を募らせているのも事実です。それは日本における西洋医学文化がかつて東洋医学を含めた様々な医療を根拠も示さず否定してきた傲慢さ、一方で国民医療の主問題が短期の抗生物質投与で治癒する感染症ではなく、長期にわたって薬を飲み続けないとならず、しかもイマイチ薬の効果の実感できない生活習慣病にシフトしてきたこと、そして90年代から顕在化した医療事故や合併症による一種の安全神話の崩壊が相まって起こった現象と解釈できます。

実際に東大に行くようなエリートの人々でも西洋薬は使わないという人も結構いますし、医者の中でも出来る限り西洋薬より漢方で治療しようとする先生もいることはいるんですね。

一方で医療者側は基本的には西洋医学に絶対的な信頼を置いています。そりゃ6年間西洋医学は全体として正しいという前提で教育をされているのですから、よっぽどの懐疑主義者でない限り西洋医学文化を否定する人はいません。しかも医者の側としては、現象学的におかしい部分があったり、非論理的な理論が存在することが多い代替医療より、原理や仕組みをはっきりさせ、科学的手法を用いた検査を導入し、論理的に推論ができる西洋医学の方が納得しやすく、いざという時も比較的冷静に対処できるのです。(多くの人は医者が論理的に診察しているとは思っていないかもしれないが、普通の医者なら頭の中で論理的な推論を行っています。一番論理的なのが循環器と神経内科だと私は思ってるのですが・・・)

したがって医者と患者というのは西洋医学への信頼度という点だけでも、自然と対立構造が生まれてしまうのです。現実の医療現場でもそうですし、ネット上でも同様です。想田先生は医療者ではないので、西洋医学は絶対ではなく、代替医療も一つの手段ということを強く意識している。一方でNATROM先生は確かに西洋医学は絶対ではないかもしれないが、代替医療のいい加減さよりはよっぽどマシであるということを強く意識しているわけです。ネット上でも医者と患者のすれ違いがこんな形で出てくるんですよ。

で私は本音レベルではNATROM先生の意見に賛成ですが、一方で患者としての不信感を医学生になる前は強く持っていた人間でもあるので、双方の意見がよく分かるんですね。で、今回思ったのは確かに治療選択という観点では医者の考えを採用したほうがいいと思うのですが、社会問題としてこういう問題を捉えるときは(すなわち社会学的に捉えるときは)患者としての立場を採用したほうがよりメタ認知が進み、高次の結論に達するのではないかということです。なぜならそれは単純、西洋医学代替医療の両方を対等に相対化し、アンビバレントな扱いをしているのは患者の側の意見だからです。さらに患者は医療を単に治ればいいという観点では捉えていません。自らの生き方や満足度、サービス全体として捉えてる。より視点が広いのです。視点が広く文化に客観的ということは社会学的な分析ではより好ましい態度とされます。

つまりこの問題を単に西洋医学代替医療かという治療選択の根拠として取り上げるだけならば、西洋医学絶対主義の方が利益が多いと思う。しかし、今の医療が陥っている問題を解析したり、社会としての課題に発展させるという社会学的な取り上げ方をするのであれば、西洋医学相対主義の方が利益になるということです。

選択肢の良悪は目的によって違う。こういう例はたくさんあると思います。議論をしている最中はそういうところに目が向きにくいのですが、まずなぜ喧嘩になるのだろう、というところを考えるほうが相互理解につながるような気がするのです。

以上、私の結論でした。

人間は自分に似たもの、類似性を感じるものの批判に熱心

官僚バッシングをしている人って、実は自らが官僚的な何もしないタイプの人間なのでは?という疑問が常にありますね。だいたい、人間ってのはエディプスコンプレックスとかを考えてもそうですが、自らと同じものを持っているものに対して強く敵意を持つものなのです。偉そうに「官僚はクズ。全部解雇」とかなんとか言っている当人がクズで解雇寸前あることは往々にしてあるわけで、よく掲示板やブログコメントなんかに過激な官僚バッシングをしている人を見かけるとニヤニヤしてしまいますね。

日経メディカルの記事

いい記事だと思ったので、ちょっと拝借させてもらいます。というか誰でも簡単に見れるようにして欲しい記事ですね。
国内初の感染者が確認された高校で起こっていたこと (その1)

電車の中で菌をばらまくなと言われた、バスに乗ったら鼻と口を塞ぐ人がいた、ネットの掲示板に君らのせいで休校になったと書かれた――。国内初の感染者が確認された高校では、多くの生徒たちが誹謗中傷を経験していた。全校生徒995人中、感染者は17人と初動対策が功を奏した同校は、教職員をはじめ生徒らも一丸となって対策に臨んでいた。なのに、なぜ心無い声に曝されなければならなかったのか。岡野幸弘校長と渡辺かおる養護教諭に、当時を振り返ってもらった。

―― 国内で新型インフルエンザの感染者が確認された当時、感染者が何人も出た高校では、校長先生が会見で涙ながらに謝罪するという場面が幾度となく放映されていました。

岡野 私もマスコミの取材を何度も受けましたし、県の新型インフルエンザ検証対策委員会でも意見陳述をさせてもらいました。でも、私は謝ることはしませんでした。

―― 謝罪しなければならないようなことはなかった、と。

岡野 生徒たちに落ち度はなかったのだし、そもそも感染症にかかった人が悪いと考えること自体がおかしいことだと思っていました。生徒を守る上でも、謝ることではないと考えました。

―― 先生のところに、生徒の感染について報告があったのはいつでしたか。

岡野 私のところに感染の可能性について一報が入ったのは、5月15日金曜日の深夜でした。保健所から自宅に連絡がありました。あとで聞いたのですが、市からの連絡網に、県立高校は入っていませんでした。県からの連絡網でしたら私の自宅の電話番号はすぐに分かるようになっていました。市では、私の自宅の電話番号を探し出すのに苦労したようです。たまたま市の担当者の娘さんが本校の卒業生で、その人を通じて探し当てたのだそうです。

―― 連絡を受けたとき、どのような思いでしたか。

岡野 「可能性はどれぐらいですか」と尋ねたところ、「ほぼ確実」との答えでした。生徒には海外渡航歴がなかったので、まさかという驚きが先に立ちました。とてもにわかには信じがたいことでした。

―― 国内最初の感染者に海外渡航歴がなかったという事実は、われわれの思い込み、あるいは先入観をあざ笑うかのようでした。

岡野 当時の厚生労働大臣新型インフルエンザウイルスを水際で食い止めると強調していたこともあって、「海外渡航歴のある人」に目を奪われていました。本校から国内最初の感染者が出たということで、風評被害を恐れた方々からも電話がありました。中には、本当に海外渡航歴はないのかと詰問する人もいました。生徒がごまかしているのではと疑う人もいました。

―― 当時は高校名は公表されていませんでした。県の方針で非公開となっていました。でも校舎の写真が出て、特定されるに至ったという経緯があります。

岡野 私の方からは、記者会見などで高校名は公開していません。当時は県の方針で非公開となっていたからです。市は公開の方針でしたが、県立高校ですから県の方針に従いました。

(中略)

―― 第一例と確認された前後で、何が一番変わったのでしょうか。

渡辺 マスコミ対策でしょうか。16日の早朝、市役所から帰校したときには、すでに校門の前にマスコミが待機していました。校長先生はこのときを境に、マスコミ対策に追われることにもなりました。私たちからは、マスコミが異常に加熱していくように見えました。校長先生を始め管理職がマスコミ対策を一手に引き受けて対応に当たりました。

―― マスコミ対策において、校長先生は何を基本とされましたか。

岡野 時間に関係なく取材を要望されるので、とにかく冷静に対応するということです。1日2回定時に会見し、現時点で分かっていること、分かっていないことをはっきりと伝えるようにしました。また、プライバシーに対する配慮についても、われわれの考えをしっかり伝えるようにしました。情報の伝わり方によっては、パニックを引き起こすこともあります。こちらがあわてていてはパニックを招いてしまいますから、常に冷静であることを心がけました。

一般市民には本当におバカな人がいるもので、この校長の毅然とした態度は非常に感心した記憶があります。謝罪は一切しない、マスコミの過熱を冷静に捉える。よくやったと思います。

しかし毎回思うのは一般市民のバカさ加減です。海外渡航歴を隠しているのではと疑う時点で、何も分かっていない証拠です。インフルエンザの潜伏期間と発症率について少しでも調べていたら、厚労省の水際対策が国民へのアピールを主眼とした気休め程度でしかないということは誰にでも分かります。厚労省の水際アピールがあまりに激しかったので、当初校長が「渡航歴に目を奪われていた」というのは理解できますが、クレーマーに関しては人権侵害まがいのクレームを送りつける以上、予めインフルエンザに関する情報を調べるのはクレーマーの最低限の義務です。無力な高校生相手に自分が何をしているかもう少し考えたほうがいいと思います。

そして風評被害対策は自治体や国の仕事であって高校の仕事ではない。所掌範囲をちゃんと調べて連絡してもらいたいものです。

取り消し

ブログの非公開話は取りやめます。というのもプライベートブログを作ってみると、意外と両方持ちながらやる手法もあると思ったからです。いずれにせよ、このブログもデータベース的なものですから非公開にする必要もないでしょう。コメントはチェックする余裕が無いので禁止するかもしれませんが、記事はそのままにしておきます。
ブログもそうですが、この種のくだらない情報というのは、受け取り側の感性が全てですから、敢えて知らぬ間のトラブルを恐れて閉じる必要はないという結論に達しました。トラブルが起きるとしたらそれはすべて読者側の先入観や偏見の問題でしょう。

新しい趣向のブログを立ち上げました

よりパーソナルな指向のブログを立ち上げました。でもアドレスは載せません。ハンドルネームももう一つ別で使い続けているものを使用しています。紹介写真も変更しているので多分追跡不能です。文体解析ソフトのようなものを使えば探し出せるかも。

もう一つのハンドルをご存知の方は探していただいても結構です。ちなみに大手ブログです。

しばらく記事を非表示扱いにします

3年ぐらい続いたブログですが、最近更新頻度も落ち、マンネリ化してきた気もするのでそろそろいったん閉じようかなと考えてます。要するに飽きてきたということかもしれません。
長年のご愛顧ありがとうございました。今後のことについては追ってお知らせしようと思います。とりあえず、8月中旬までは閲覧できるようにしておきます。