西洋医学のメリット・デメリット

twitter上で交わされたNATROM先生と想田先生のバトルは非常に興味深いものがありました。たまたま両者をフォローしていたので少し首を突っ込みましたが、医者と患者の基本的な対立構造がネット上の大思想家の間でも繰り広げられた様子を見て、どこか諦めに似たものを感じてしまったのでした。

ちなみにNATROM先生は内科医、想田先生は以前紹介した「精神」という映画(私は新開地の映画館で観ましたがDVDが出たそうですね)の監督です。

事の発端はホメオパシーに関する報道です。どこかの助産師が母乳栄養の新生児に対して一般的には投与されているビタミンKのシロップを投与せず、ホメオパシーの薬?を投与してサブドラ等の出血で乳児が死亡したという事件ですね。ビタミンKシロップ?と思われた方は勉強してみてください。母乳との関連も知っていて損はないです。

ここの登場人物は私も含め誰もホメオパシーを信じてはいないのですが、想田先生が指摘するところによると、「西洋医学絶対主義に陥った報道の仕方をしているのではないか」という問題があります。確かに記事を見るとホメオパシーは怪しげな宗教のような書かれ方をされており、西洋医学的に正しいことが全てだというような印象は受けますね。その指摘に噛み付いたのがNATROM先生と。

まあ確かにホメオパシーを題材に議論すると西洋医学絶対主義でいいんじゃねぇのという気もしますが、一般的にツボとかの東洋医学を含め様々な代替医療を考えるときに、本当に西洋医学絶対主義でいいの?是非は別にして、少なくとも自分たちがそういう幻想に陥っているという自覚はすべきではないか、という問題はあると思います。医療従事者も含め。

これは決して想田先生だけが思っていることではないんですよね。実は少なからずの患者・国民が西洋医学に対して何らかの不信感を募らせているのも事実です。それは日本における西洋医学文化がかつて東洋医学を含めた様々な医療を根拠も示さず否定してきた傲慢さ、一方で国民医療の主問題が短期の抗生物質投与で治癒する感染症ではなく、長期にわたって薬を飲み続けないとならず、しかもイマイチ薬の効果の実感できない生活習慣病にシフトしてきたこと、そして90年代から顕在化した医療事故や合併症による一種の安全神話の崩壊が相まって起こった現象と解釈できます。

実際に東大に行くようなエリートの人々でも西洋薬は使わないという人も結構いますし、医者の中でも出来る限り西洋薬より漢方で治療しようとする先生もいることはいるんですね。

一方で医療者側は基本的には西洋医学に絶対的な信頼を置いています。そりゃ6年間西洋医学は全体として正しいという前提で教育をされているのですから、よっぽどの懐疑主義者でない限り西洋医学文化を否定する人はいません。しかも医者の側としては、現象学的におかしい部分があったり、非論理的な理論が存在することが多い代替医療より、原理や仕組みをはっきりさせ、科学的手法を用いた検査を導入し、論理的に推論ができる西洋医学の方が納得しやすく、いざという時も比較的冷静に対処できるのです。(多くの人は医者が論理的に診察しているとは思っていないかもしれないが、普通の医者なら頭の中で論理的な推論を行っています。一番論理的なのが循環器と神経内科だと私は思ってるのですが・・・)

したがって医者と患者というのは西洋医学への信頼度という点だけでも、自然と対立構造が生まれてしまうのです。現実の医療現場でもそうですし、ネット上でも同様です。想田先生は医療者ではないので、西洋医学は絶対ではなく、代替医療も一つの手段ということを強く意識している。一方でNATROM先生は確かに西洋医学は絶対ではないかもしれないが、代替医療のいい加減さよりはよっぽどマシであるということを強く意識しているわけです。ネット上でも医者と患者のすれ違いがこんな形で出てくるんですよ。

で私は本音レベルではNATROM先生の意見に賛成ですが、一方で患者としての不信感を医学生になる前は強く持っていた人間でもあるので、双方の意見がよく分かるんですね。で、今回思ったのは確かに治療選択という観点では医者の考えを採用したほうがいいと思うのですが、社会問題としてこういう問題を捉えるときは(すなわち社会学的に捉えるときは)患者としての立場を採用したほうがよりメタ認知が進み、高次の結論に達するのではないかということです。なぜならそれは単純、西洋医学代替医療の両方を対等に相対化し、アンビバレントな扱いをしているのは患者の側の意見だからです。さらに患者は医療を単に治ればいいという観点では捉えていません。自らの生き方や満足度、サービス全体として捉えてる。より視点が広いのです。視点が広く文化に客観的ということは社会学的な分析ではより好ましい態度とされます。

つまりこの問題を単に西洋医学代替医療かという治療選択の根拠として取り上げるだけならば、西洋医学絶対主義の方が利益が多いと思う。しかし、今の医療が陥っている問題を解析したり、社会としての課題に発展させるという社会学的な取り上げ方をするのであれば、西洋医学相対主義の方が利益になるということです。

選択肢の良悪は目的によって違う。こういう例はたくさんあると思います。議論をしている最中はそういうところに目が向きにくいのですが、まずなぜ喧嘩になるのだろう、というところを考えるほうが相互理解につながるような気がするのです。

以上、私の結論でした。