何度も言うが医学部定員増員の前に

患者の診察時間の5〜10倍かかる書類作成(しかも大したことのない内容や重複した内容が多い)を他の医療職にやらせれば、定員を増員する必要なんてほとんどないに等しいでしょう。せいぜい数百人の増員で対応できます。一見すると事務専門職より長いんじゃないかと思うほどに、医師がパソコンや書類の前に向かっている時間は長いです。いかに今の医師が無駄なことに時間を費やされているか・・・民主党は何も現場を知らないんでしょう。

外科医の負担にもなっている術前のインフォームドコンセントも、効率化しようと思えば効率化できます。同じような内容の手術に関してはリスク等ある程度まとまったデータがありますから、医学用語の解説もつけてビデオにして流せばいいのです。分からないところがあれば、その都度巻き戻して見ることも出来ますし、忙しくメモを取ったり、ICレコーダーを隠し持つ必要もありません(時たま録音のことを告げないまま説明を録音していて、うっかり落として気まずい雰囲気になっているところを見かけますが)。で、あとで医師がやってきて質問したいことがあるかどうかを聞けばいい。

イデア次第で効率化はいくらでも図れると思います。問題はそれに対していちゃもんをつける人々がいるということです。一つの価値観に縛られた市民団体、法律を盾に柔軟で多様な運営を拒む官僚たち、そして妙に歪んだ正義感にかられた「べきだ」教の信者たち。

いちゃもんつけたいんなら結構ですが、自分の診察の時だけにしてくださいな。誰でもそうですが、あなたと他の患者とは価値観が違って当たり前なのですから。上のやり方でも構わないといってくれる人にはそのやり方を認めるのが筋でしょう。

私ははっきりいえば、自分の「死」ですら個人個人で定義が異なってもいいと思っています。死を決めるのは医者じゃない。本人があらかじめ定義しておくものです(例えば、社会的死をもって死とする人がいてもよいし、体温が室温になる段階を死としてもいい)。医者はその選択を助ける材料を提供するだけ。医者が他人の死を一存で決めるなんて傲慢だと思います。

現実的には医療上の問題ではなく法律上の問題から(相続とか権利関係の問題、殺人罪への抵触の問題等がある)、そういう選択をさせることは難しいのですが、医療的にはそれが最も不満の少ないやり方でしょう。自分の体なんですから自分で決めればいいと思います。意思決定能力が無いと思われる場合は別ですが。もちろん、医師に判断を一任するという選択をしてもらっても構わないわけですが。