裁判員裁判

とうとうはじまったみたいですね。NHKのインタビューでは抽選に外れた候補者が「一般の人の視線で判断したいと思っていた」というようなコメントをしていましたが、あらゆる人間にとって「一般人の総体」と完全同一化するのは不可能ですから、そんなややこしいことは考えずに、純粋に「自分の視点で判断」してもらえばいいし、そうしかできません。何かの代表であると気取る必要は不要です。

ところで、検察側が遺体の写真を見せたそうです。これ自体は私はナマの判断材料を提供する意味でいいことだと思っていますが、その陳述には問題があると思いました。

それは「傷の深さが刃渡りと一致していて、それは強い殺意を示すものである」という趣旨の部分です。

実は傷の深さと力の入り方は決して比例関係にあるものではありません。豆腐に包丁をいれるのと、りんごを切るのとで比べてください。同じ力を入れたとしても豆腐ではスパッと切れてしまうに対して、りんごでは小さな傷がつく程度です。切るのではなく、突き刺すのでも同じことが言えます。そして、人間の体というのは一様な密度の物体でできているわけではありません。柔らかな脂肪組織もあれば、固い骨もあります。

つまり、同じだけの力(≒殺意)をもってしても、刃物の入りどころによっては、傷は深くもなるし浅くもなるということです。

刃物事件に頻繁に接する法曹達が上のような誤解をしているとは思えませんが、一般人なら誤解は当然ありえます。しかも、その誤解を助長するような陳述をするのは、よろしくないことです。

強い殺意があると思えるのは、顔に刃物を向けたときでしょうかね。普通、ノンバーバルコミュニケーションの代表である顔を傷つけようと思う人はあまりいませんし、心理的抵抗を覚えるものですから。