新・新臨床研修制度と医師不足対策

厚労省が新医師臨床研修制度をまた変えるそうですね。先日の近畿厚生局主催の研修病院説明会で、近畿厚生局の担当者に質問して公式見解を求めてみたのですが、予想通り「まだ決まったことではない」とお決まりの逃げ口上をされてしまいました。
でも大まかな方針や考え方はここを見れば一目瞭然です。

まぁ、実際のところ私も専門性が高い外科の研修にはいつも疑問を抱いていたのですが、産科・精神の研修は残すべきだったと思ってます。妊婦さんはいつどこで遭遇するか分からないし、精神疾患を持つ患者はあらゆる科に来るからです。実際、頭痛や吐き気を訴える患者さんの中にうつ病とか心因性のものが混じっているとかはよくある話ですし、いわゆる医療関係者が毛嫌いするモンスターペイシェントの中には少なからず人格障害、具体的に言えばボーダー的な気質を持つ人がいるはずです。精神科を勉強したからと言って必ずしも彼らへの対処法が身につくとは限りませんが、自分の中での心の整理はつきやすくなるんじゃないかと思いますね。産科を残して欲しいのは飛行機や列車の中などで遭遇したときに、何もできないよりは、何かできた方がいいというただそれだけの考えです。

私にとって一番気に食わないのが都道府県別の定員制限でしょうか。医療界も厚労省による完全な計画経済になりつつありますね。極東アジアソビエト連邦が誕生するようです。スターリン万歳!(違
でもかつて厚労省は「医師偏在の問題においては都道府県別の格差というよりも、むしろある県の中での中心都市と僻地の格差が問題なのだ」と主張していませんでしたっけ?そういうデータを見せられた記憶があるんですがね。だったら都道府県ごとに定員を制限しても何の意味もないでしょう。ある県の数が増えたとしても、その都道府県選出の議員連中を喜ばすだけで、本当に医師が不足している僻地へ医師が行くかは甚だ疑問です。「我田引”医師”」で、議員の利権と結びつきそうなことを安易にすべきではありません。やるならせめて厚生局所管範囲あるいは道州単位で決めるべきです。さらに言えば、卒後2年程度でいきなり僻地に行って、一体何ができるというのでしょうか。本当に数をコントロールすべきは卒後3〜10年ぐらいの後期研修医・若手医師だと思います。

それから北陸の某県にある大学病院長の「大学病院を建て直せば、地域の医師不足は解消する」という詭弁。最近の医学生で教授にあこがれる人はあまりいません。かつてのような絶大な権力はありませんし、最近は安全管理だの、なんたら戦略会議だので雑用が多く、傍から見ても大変そうだからです。正直、失礼ですが私の目には教授は「誇り高き雑用マシン」に見えます。雑用係を自認しておられる先生もいらっしゃいますがね。世間では取締役を目指す新入社員が減っているそうですが、それと同じ現象は医学生にも広がっているのです。そんな中で大学病院の定員を増やしたところで、人員がすんなり入ってくるかは全くもって不透明ですし、「定員の縛り」によって不本意に入らされた研修医や若手医師が、かつてのように教授の言うことを「かしこまりました、ご教授様」といって聞くとは思えません。厚労省コントロールによって定員削減の憂き目に遭った研修病院は、研修医が大学病院から出てくるのを今か今かと待ち構えているわけですし、この世界の法則として、一度崩れた権威というのはそう簡単には戻らないものです。ただし、大学の教授陣がかつての「教授」のマントを脱ぎ捨て、強大な権力を振りかざすのではなく、本当に医員や病院、患者のために尽力する「マネージャー」に変身することが出来るならば、私は大いに希望はあると思います。「大学病院を建て直せば」ではなく、「大学病院を根本から改革すれば」地域の医師不足が解消される可能性は高いのです。

あと、絶対的な医師の不足ですが、私は常々言っていることですが、医師数を増やしたところでその効果は10年以上先です。いまするべきことは、まず医療職の裾野を広げて、医師は医師の仕事、看護師は看護の仕事に集中できるような体制作りです。医師がこまごまとした事務作業を全部やる必要はないと思います。厚労省も診療報酬で推奨している医療クラークはもっと増やすべきです。なんなら医学生のアルバイトとして、医療クラークを雇ってもいいでしょう。全くの素人にやらせるよりは、ある程度の専門用語も知っていますし。やる気のある学生は勉強と収入の両方が得られると、喜んで参加するでしょう。大学のカリキュラムを全体的に考え直す必要がありますが(外来のある午前はクラーク、午後授業という感じで)、「医学生のバイトに医療クラーク」というのは一考の価値があると思っています。