忘れ物

考え事カテゴリーを追加しました。まぁ要するに思考と愚痴の集まりということです。
ここ1ヶ月ほどなぜか医学の勉強にあまり身が入らない、入っても一時的なものであまり熱心にする気がないのはなぜだろう。一ついえることは私は中高の時代に大きな忘れ物をしてきたということである。一つはちゃんと勉強しなかったこと、もう一つは解説本は読んでも、名作と言った類の本を読まなかったことである。確かに私は中高のときに大変有意義な生活を送ったと思う。ただ、勉強やゲームだけをしていた連中と比較すれば、入学した大学は彼らより多少劣りこそすれ、組織の運営という難しい作業も経験したし、様々な技術を学びそれを活用してものづくりをすることも出来た。何より生涯の友人にしたいような後輩を何人も見つけることが出来た。そのことは後悔していないし、自分自身、誇るべきことだと思う。しかし、私はそのために余りにも多くの時間と労力を費やしすぎた。というか、そもそも今の学校教育システムではそのような経験を積み、かつ勉強や読書などといった教養をつけるためには時間が短すぎたのである。もちろん、一般的な大学生の場合、教養という時期が2年間もある。その中で自分が中高でやりそこなったこと、そして新たにやりたいことを十分に実現できる時間がたっぷりある。その中で自分が将来やりたい仕事、就職したい職種を決めることが出来るだろう。しかし、医学部では違う。医学部では将来の職種がほぼ確定している上に、最近の医学教育改革によって教養の期間が半分に減らされてしまった。入学して1年足らずで専門科目が始まり、教養のキャンパスに足を運ぶような機会はほとんどなく、医学部という閉ざされた環境の中で残り5年間を過ごすことになる。自分が中高でやり残したことを実行に移せる暇はほとんどない。もっとも、私が研究室に属していて本当は時間があったにも関わらず、その時間をすべて研究に費やしてしまったというある種の失態があることは間違いがない。しかし、それにしても短すぎやしないか。実は私は世界史を半分しか勉強していない。担当だった教師が中2から始めて高3でようやく世界史全体が終わるような授業の仕方をしていたからである。(そういう授業方法が嫌いだったから世界史は選択しなかったのであるが)地理選択の私はイスラムの手前で終わっている。そこから先は何も知らない。時に嘲笑のネタにすらなることもある。本当はそれを補いたい。しかし、その機会は結局現在までには与えられることはなかったし、もしあるとしても相当な努力と時間が必要であることは目に見えている。
さらに私が問題としたいのは大学は医学生に教養を学ぶ機会をほとんど与えてくれなかったということである。教養が一年間であるがゆえに学生は教養科目のごく触りを勉強するにしか過ぎない。すべてがなんとか入門で終わってしまうのである。本当は理系大学生として知るべき項目は山ほどある。ラプラス変換すら知らない理系大学生があっていいものだろうか。昔は教養が2年間もあったので医学生ラプラス変換を学ぶことが出来た。私の親父も二年のときに習って、便利さに感動したと言う。今の医学生は(もちろん大学にもよるのだろうが)その感動を味わうことが出来ない。
もちろん、そもそも今の医学教育改革が「医学生を2年間も教養においておくと、かなりの割合で医学から離れてしまう学生がいる」という点から始まっているということは知っている。医学生に入学時の医学への興味を失ってもらいたくなくて、1年で専門課程に入ってしまうような制度にしたということも理解している。しかし、その制度によって少なくとも私には「大学生として最低限の教養を身につけられなかった」という思いが強く残ることとなった。そして、それが今、専門課程の私にとって医学に集中するための障壁となっていることは確かだ。しかも私は自分が満足するまでその欲求を満たすつもりでいる。そして、そのためには独学という非常に苦労と努力が必要なことをしなければならない。他者から教えてもらえればもっと効率よく出来たであろうことを。
医学教育の制度設計をしている人にはこういう学生もいるということを知っていただきたいと思う。