モトケンブログ、JR問題へコメントしました

何度か投稿を試みていたのですが、リンクが多すぎていつもスパムブロックにハネられてしまいました。今回はリンクを一切入れなかったので投稿できたようです。こちらにも私の考えを書いておきます。

JR西日本が車掌の手記をそのまま公表(追記あり)

JR西日本の問題を事故前から提起してきた立場から・・・・

今回の記事は遺族の中でも疑問に思っている方が多いと思います。国土交通省航空鉄道事故調査委員会の事故報告書案を読んだのですが、車掌は決められたことをやっただけであって、決して過失のようなものはないんです。

車掌の事故前の行動ですが、高見運転士が伊丹駅オーバーランしたときには、マニュアルにしたがって報告をしているだけですし、車掌は普段前を見ていて速度計は目に入っていないので本人が「速いと思わなかった」と言っている段階で非常ブレーキをかける義務はありません。予見可能性がなかったということです。第一、当時のJR西は宝塚線のような最高規格ではない複線でも120km/hで走行していましたので、その揺れはひどいものでした。120km/hが126km/hになったからといってそこまで揺れがひどくなるとも思えません。一部の車両では揺れがひどかったとの証言もあるようですが、その辺は車両ごとのバネ特性や振動との同期の問題があり、おそらく最後尾はそうではなかったのでしょう。

そして、事故後の対応にも過失があったとは思えません。車掌の供述によると、事故があれば運転士が車掌に車内電話で(ブザを鳴らして、受話器を取る手順になっています)連絡があるのですが、そのときはなかった。そこで指令に連絡しようと思ったが、列車無線機が動かなかったため(これは後日調査により、本列車では停電時にはそうなる仕様であったことが判明しています)、携帯電話で連絡していたところ、乗客から脱線している旨を告げられてはじめて脱線事故が起こっているということを認識したわけです。そして、指令に運転士を見てきて欲しいといわれたので、そこで列車を離れたのですが、「脱線事故」ということで防護無線を発報しようと試みています。ですが、無線の電源が入っていないのでそれは不可能でした。実は、このとき対向の特急列車が現場に接近していてあやうく二重事故が発生するところだったのですが、現場に居合わせた主婦の機転により列車は現場手前200mほどのところで緊急停車し、難を逃れました。

これに関して(線路を支障する状況では輸送への指令より先に、列車防護を行わなければならない点から)車掌の行動に問題が指摘できそうなのですが、時間を確認すると事故発生からわずか1分足らずで特急が接近しており、車掌が列車の脱線を認識するまでに特急の接近を防止できたとは考えられないわけです。また、防護無線は電源を非常に切り替えなければ使えない状態になっており、車掌は規定により信号炎管、軌道回路短絡機を用いて後続列車等に異常を知らせなければならなかったのですが、それでも1分で特急列車の運転士が見える位置まで走ることが出来たかということを考えれば結果は変わらなかったのではという気がします。また、そもそも結果的には主婦のおかげで今回の車掌の行動が何か損害を与えることはなかったのです。
あとは車掌が現場を見てアゼンとして、乗客の救助に向かわずただ頭を下げていたことですが、鉄道員としては少し頼りない感じはありますが、あの状況ではやむを得ないことだと思います。訓練は受けているとはいえ、あれだけの惨状は予想外でしょうし、そもそも先頭車両が見つからないということがどれだけ車掌にとってはショックだったかは想像するに余りあります。

なにも謝罪することはないと僕は思います。
ただ、この件に関してJRを責めることは難しいのではという気もします。今回の記事は車掌自らが遺族への配布を依頼しています。遺族団体も謝罪は求めなくとも、以前から事故の当事者に事故について語って欲しいという要望をしていて、車掌もそれに応えたいと新聞記事に答えていました。JRが添付したコメントは別にして、配布そのものには問題がなかったのではないかと考えます。

では、なぜJRが遺族に対して「謝罪はありませんが」というコメントを配ったのか。これは今回のように107人もの多くの犠牲を出した事故に特有の難しい問題があるのです。107人も死亡者がいれば、その遺族の数も最低107人はいるわけです。医学部1学年と同じぐらいです。これだけの数の人間がいれば、当然事故に対する思いやJRに求めるものも様々です。

遺族の中にはJRと早く示談をつけて、日常生活に戻りたいと考えている人もいますし、JRの安全向上と企業体質の改善、遺族対応の改善を求めて遺族団体に所属して活動する人もいます。同じ遺族団体の中でも、「現場は被害者だ」として一切責めないという人もいますし、中には「あんな運転士に運転させるからだ」と運転士を責める人もいます。JRが追悼する犠牲者を106人としているのは、もちろん、責任を運転士になすりつけたいのかもしれませんが、やはり遺族の中に運転士を乗客と一緒に慰霊することに抵抗感を感じる人がいるためだと考えられます。先日も遺族団体主催のシンポジウムに二回ほど足を運びましたが、事故について思いを語られた遺族の中には「106人がなくなった」と言う人もいますし、「107人が犠牲になった」という人もいました。遺族団体の中心的立場の方は主に107人という表現を使っていらっしゃったと思いますが、遺族の中には「運転士は加害者」と考えている方もいます。

遺族が車掌に謝罪を求めていたか・・・車掌が事故後2年して現場に献花した時の神戸新聞の記事を読むと「いまさら車掌を責める気にはなれない。むしろ現場にいたものとしてJRを変えて欲しい、応援している」という声もあるし、「遺族の前で謝罪して欲しい」という声もあります。僕の記憶では、遺族団体全体方針としては元幹部と同様「(謝罪というよりは)事故に対する考えや説明をもとめる」という方針だったと思いますが、この手の事故の対応は本当に難しいなぁと思います。

事故もいろいろ、遺族もいろいろ

と言ったところでしょうか。その点、昨今の医療事故の遺族で医者個人に強い不満を持つ人が一定割合いることは仕方がないのかもという気はするのですが。

参考資料
国土交通省航空鉄道事故調査委員会 福知山線脱線事故報告書案
神戸新聞記事
遺族「なぜもっと早く」 原因究明に協力を
惨状、今も脳裏に 思い悩み現実逃避の日々
沈黙2年「謝りたい」 JR脱線事故車掌、現場で初献花