トンデモ医師?or偽医者?

佃講師(事情を知らない方は2日ほど前の記事を参照)の件は、私も考えが変わりました。
Taichan先生を支持します。当初は「多様性を維持すべき」という彼の考えに共感できるところもあって、擁護しましたが、最新の記事にこのようなものがありました。

私は偽善者が嫌いです。社会からいなくなって欲しいとすら感じています。大きな事故や災害がマスコミで報道されると至る所のブログでも「災害に遭われた方々にお悔やみ申し上げます」と出てきます。それって偽善っていうんじゃないの?
ところで日本人は年間どのくらい亡くなるでしょうか?何と100万人にも達するそうです。死因としてはやはり病死が第1位で事故死が第2位になるそうです。人は様々な理由で亡くなります。よくある癌死、老衰だけでなく、歩道で滑ってコンクリートに頭をぶつけたとか酒に酔って道端で寝てしまい凍死したとか・・・中には手を洗おうとした際、冷たい水でショック死した・・なんてのもあるそうです。死者の数だけ死因があり、そしてその数だけ悲しみがあるのです。家族にとってはそれがどんな死因であれ悲しいのは当然であってその悲しみの程度には差はありません。しかしそれを意識してか無意識かどうかは分かりませんが他人はそれに差をつけたいようです。そしてそういうものに共感しなければそれを非難する人間も必ず出てきます。
一例を挙げましょう。JRの脱線事故では一度に多くの人が亡くなりました。報道とは恐ろしいものです。事故は日本の彼方此方で常に見られますが報道量に比例して認知度に差が出てきます。福岡で起きた飲酒運転事故による幼児死亡事故もその類ですね。先のJRの話に戻しますが、私が違和感を感じたのは相変わらずのマスコミの偽善ぶりだったわけです。あるニュース番組では死亡した被害者の名前を女性アナウンサーが涙声で読み上げていたことです。偽善者そのものですね。日常ニュースでは毎日事故のニュースが報じられています(それも数ある事故の一部です)。彼女はその都度涙を流しながら被害者の名前を読み上げているのでしょうか?年間100万人とは言わなくても年間数万人にも達する事故死の度に涙を流すのでしょうか?そうではないでしょう。そういう時(大災害)にはそういう行為(涙を流す)が周囲(視聴者)に受け入れられるからそうしているんでしょう。悲惨な事件報道を悲しみ顔で読み上げた後、表情がガラッと笑顔に変わって「さあ、次はスポーツです。今日もイチローはヒットを打ったみたいですね〜w」となるのはよくある光景です。
マスコミってそんなもんですよって結論付けるのは簡単だけど、彼らの特権ですか?実は私はそういうマスコミの偽善ぶりの存在以上に一般人の偽善ぶりの方に嫌気が差します。実は私はマスコミの偽善ぶりを軽蔑していると同時に人間というものは皆そうなんです、と思っていることも事実です。人は自分と自分の家族もしくは近親者のことが一番可愛いし、極論を言えば、それらの幸せだけを考えているとさえ言えます。北朝鮮拉致被害者が可哀想、地下鉄サリンの被害者が気の毒だ、大震災の被害者を思うと胸が痛む、こう言葉で綴るのは簡単です。しかしそう言ってる彼らにしてみるとそれよりも、入院している家族がいればそちらの方にいつも気が向いているし、商売をしている人は明日の客の出入りの方が心配でしょう。株をしている人は自分の株の上げ下げのほうが大事だと思っているでしょう。人それぞれです。自分の身近に無いモノにしか人は感情移入出来ないわけです。そしてそれを非難することは絶対に出来ないし、非難する人間は涙ながらに死亡者名簿を読み上げた女性アナウンサーと同レベルの偽善者です。
医療の現場は日本で一番死亡者が出る場所です。よくある世間の反応として「医者は死に対して鈍感なのでは?」というものです。常に死を見ているから無神経な発言が出るんだと・・・。これこそ偽善ぶりの主張です。遠くで起こった患者の死もしくは不慮な医療事故に対して感傷的になるなんて出来ないわけです。年間100万人の不幸な(本人、家族にとって)死に対してその都度感傷的になれますか?報道された事例だけ感傷的になるのですか?人の死に差をつけたいのですか?毎日毎日感傷的にならなくてはいけない、そういう生活を望みますか?言葉だけで繕うのは簡単です。しかし本音を言わなければ会話にならない。しかし、これが自分だったり自分の家族だったり、自分が診ている患者だったり・・・そういう身近な存在であれば感傷的になれるわけです(当然ですが)。しかし赤の他人の事例にそれを求められるのは酷であるし、またそういうものを求める方が異常だと私は考えます。自分がそういう立場になったら・・・それでもそういうことを求めないでしょうし、否そもそも人間というのはその立場に立たされなければ決して分からないものです。それが人間です。日常的な普通の提言であっても当事者にとっては無神経に聞こえるでしょう。だからといって慰めの言葉だけを期待していては自己満足だけにしかなりません。慰めの言葉を発している人間が心では実は何も感じていないというのはよくあるパターンです。
世界に目を移すと、いまだに日本では簡単に治る病気で亡くなっている人はゴマンといます。戦争状態の国もあります。そういうのを毎日食事しながら、トイレに入っている時ですら頭に思い浮かべてますか?マスコミに報道された時だけ、胸を痛めますか?人は絶対に他人の気持ちにはなれないし、相手の身になってなるたけ考えることは重要ですが、所詮それに限度はあります。そして自分で勝手にそういう気持ちを持つのは自由ですがそれを他人に押し付けることは「強制」そのものです。偽善者になるのは勝手ですが、偽善を他人に押し付けるなって言いたいですね。

この記事で倫理的なトンデモさは言うまでもないですが、論理的・常識的なトンデモさもあるので指摘しておきます。

悲しみの程度には差はありません>本当ですか?もう70才以上の老人があと数日で死ぬと分かっているときと、30代前後の若い人が突然事故で死んだときでは悲しみの差はないんでしょうか?もちろん、悲しいという点では皆同じでしょう。でも、後数日と分かっていれば、最後の話も出来ますし、心の準備も出来ます。でも、突然の事故死ではそんな暇もありません。一報を聞いたときはアゼンとするだけで悲しみなんてほとんど出てこないと思います。逆にご遺体と対面したときの悲しさは、普通の場合よりはるかに大きなものになるでしょう。
事故や事件の遺族がなぜ色々な場所で、根気よく草の根活動(それが社会にいい影響を与えるか、悪い影響を与えるかは別にして)を続けることができるのか・・・それは悲しみが通常よりはるかに大きかったからに他なりません。他に要素が考えられますか?悲しみは遺族にとってパワーの源のはずです。

女性アナウンサーが涙声で読み上げていたことです。偽善者そのものですね。>偽善だと断定できるのですか?もちろん、その可能性がゼロパーセントだとは言いませんが、100人を越える多くの人が日常の身近な通勤通学の中でその命を奪われた、ということに女性アナウンサーが心を痛めないはずがありません。人間、簡単に涙を出せるものではありません。プロの俳優でも泣くシーンは感情移入しないと難しいと言います。私は女性アナは自然に涙が出たのだと素直に解釈します。しかもこの場合は、お涙頂戴を誘うような用意周到に編集されたドキュメンタリーではなく、現場の様子をそのまま伝えていたニュース番組でしょう。なおさらです。
さらに、この女性アナの行動を「偽善だ」と決め付けて皮肉ること自体が、彼が主張する「人の意見は多様なのだから、考えを他人に押し付けるな」ということに反しています。完全に自己矛盾してます。

部分的な矛盾としてはこんなところでしょうか。全体としてのトンデモさはもう読者の皆様の判断にお任せします。もちろん、彼が指摘しているところは一理あるのは認めます。形式的に「お悔やみ申し上げます」と書いている人も多いでしょうし、私も全ての事件・事故に本気で「なんてカワイソウな!」と思っているとは限らないことは素直に認めます。「お悔やみ」をしない人を責めることは当然出来ません。しかし、たまに遠隔地であっても、全く関係のない他人の死であっても、とても胸を痛める事件があることも確かです。

さらに彼が批判されているのは「お悔やみ」を言わなかったからではなく、逆に深い考えや強い意志もなく当事者を侮辱したことです。プラス行動が存在しないことに批判はあまり出てきませんが、マイナス行動を行うと当然批判は出てきます。もちろん、マイナスだってちゃんと理由があって、説明できるのならそれも許容される事だってあるでしょう。ただ、彼が批判されているのは前者ではなく、後者によるものであり、しかもその行動に説明の出来るような明確な理由が見当たらないからです。彼が意見という形で批判をかわそうとするのは勝手ですが、論点を間違えているのでこれでは批判はかわせません。

一部では彼が偽医者ではないかという仮説が浮上しています。彼はm3.comという医師専用サイトでブログを開設していますが、先日大淀事件でマスコミがm3.comの掲示板の内容を取り上げたことからも推察できるように、m3.comの本人確認はかなりいい加減だと考えられます。私も医学生身分(掲示板にはアクセスできない)で登録していますが、かなり確認がいい加減な印象を受けました。だから、もし彼が偽医者であっても驚くことはないと思います。少なくともネットで見られるような態度で患者に接すれば、トラブル間違い無しであり、臨床でうまくやっていけるとは到底思えません。ネットでの人格が異なる可能性も十分にありますが、偽医者の可能性もあります。もっとも、現段階では何も分かってませんけれどもね。もし、彼が本当に医者なのなら、その見識を疑わざるを得ないレベルの発言を何度も繰り返しているわけですが・・・。

この事件は一見すると双方が手を引いて決着したように見えるのですが、水面下で色々と動きがあるようなので、そのうち何かが起こるかもという期待を寄せています。

ちなみに彼が2chねらーかもしれないという議論は、Taichan先生ではなく私の推測(2日前ぐらいの記事)に端を発しています。このブログのコメントにもあるようにTaichan先生は2chをご存知でないようですから、彼がいうように「Taichan先生が2ch系」というのは大きな間違いです。もっとも、佃講師はwなどの2ch特有の文法を常用しているので、書込経験はあるんだとは思いますが。まぁ、今後の展開が楽しみですw