ホリエ、村上逮捕で日本は活気を失った

村上Fの裁判は彼の中高の後輩ですから、どうなるかと注目していたのですが、実刑のようです。自由心証主義では、あれだけひっくり返したらまぁ実刑やむなしなんでしょうね。制度に対する違和感はかなり感じますが。医療裁判とかでも心証主義の問題はいろいろと言われているようです。果たして今の制度でいいのか、個別の裁判の中ではなく立法の段階からもっと正確性を追求していくことが議論されても良いと思うのですが。

もっとも、この判決とは別にしてホリエモン、村上が逮捕されてから、日本に沸きあがっていた「ワクワク感」というのは完全に消失してしまいました。まぁ、ルール違反はいずれ取り締まるべきというのは確かですが、あまりに短期間に時代の寵児とも言える二人を連続して逮捕したことで、世間には相当のダメージがあったのだろうと思います。以後、日本には活気のある話題が全くありません。ただでさえ、近年、少子化や数多くの社会問題が蔓延し、多くの人が夢を失っている社会で、彼らの活躍はある意味、庶民・富裕層に関係なく、一つの希望でもありました。彼らが世界的に見てもダメな日本を変えてくれるのではないかと。もちろん、彼らの手法には賛否両論があるでしょう。攻撃対象となった企業の人々は彼らのことを快く思ってないかもしれません。けれども、彼らが派手なM&Aを行ったことで一時的に日本の経済は緊張感と同時に期待感があふれていました。経済が活気付き、いずれその恩恵を市民が受け取る日が来るのではないかと。

今となってはあの時期が夢のようです。あれは一体なんだったんだろう。単なる幻想だったのでしょうか?でも、経済は案外幻想が実体につながることがあります。みんなが「景気がいいぞ」と思うと、消費が刺激され、生産増加で各業界に利益をもたらす構図になっています。あまりにそれが進みすぎるとバブルになるんですけどね。とかく、決して幻想だから悪いということはないはずです。いい動きの兆候だったのですよ、あれは。それを検察は一部の人間の勝手な正義感でつぶしてしまいました。幻想が実体として現れてくる前に「幻想はいかん」と言って幻想を消してしまいました。社会はあれ以降、ルールに敏感になったかもしれませんが、人々はまた夢を失いました。あの事件以降、コンプライアンスがますます声高に叫ばれて、窮屈な世の中になっています。世間がワクワク感を抱くような夢もありません。悲しい事件と災害ばかりが続いています。日本の経済的地位はますます低下しています。

「法を守ること」これは重要なことですが、「法や検察が社会の中でどういう影響を及ぼしているか」ということを考えて舵を取るのも検察の重要な役割です。彼らには法律だけではなく社会学の深い見識も必要です。そして、時に違法行為を一時的に黙認することも必要なのです。日本が法治国家である以上、その法を操る彼らの社会的な地位は医者とは違ってゆるぎないものです。だからこそ、全体を見渡し、自らの行動がどういう影響を与えるかというようなことに常に注意を払う必要があると思います。

私は、少なくとも社会に一つの大きな夢を与えてくれた彼やホリエモン控訴審で執行猶予付きになることを期待しています。