参議院選挙をどう解するべきか −混合診療というカギ−

もう時期甚だ遅しかも知れませんが、今回の参議院が一体どういう有権者の声を反映したものであったか考えてみます。
まず、今回の参議院選挙は与党大敗、野党躍進であったことは確かでしょう。かの安倍総理は「私か小沢さんかを選ぶ選挙だ」といいつつ、結局大敗してしまいました。自民党参議院では過半数民主党に取られてしまい、参議院議長や予算委員会以外の重要な委員会の委員長ポストも民主党側に明け渡してしまいました。自民党は今回の大敗の原因をこのように分析しています。

  1. 参院選後も支持率は低迷を続け、党は存立の危機に立っている。
  2. 年金記録不備」「政治とカネ」「閣僚の失言など不祥事」の逆風3点セットともいうべき問題が続出し、国民の怒りと失望を買う結果となった。年金では発覚した際の初動対応を誤った。
  3. 組閣での論功行賞人事、郵政造反議員の復党、政治とカネ問題での対応によって安倍晋三首相が一般国民の側でなく、永田町の政治家の側に立っているようなイメージを持たれた。不祥事の続発に対する後手後手の対応と手ぬるい処分により、国民から(首相の)指導力、統治能力に疑問を呈された。
  4. 政策の優先順位が民意とずれていなかったか。「美しい国」「戦後レジームからの脱却」を争点にできなかった。「生活が第一」とした野党キャンペーンに主導権を奪われた。
  5. 従来なら郡部の強固な支持基盤で敗戦を免れてきた。しかしいまや郡部の防波堤は決壊した。都市部との格差や置き去り感から、地方の反乱というべき猛烈な反発が広がっている。
  6. 国民本位の政策実現能力と清廉で透明性のある内閣をつくるべきだ。首相には国民と苦楽をともにする中で、国民の目線に沿った政権運営が求められる。閣僚は、自分が起こした問題について説明できなければ、自ら辞める覚悟がなければならない。
  7. 構造改革を発展させ地方や弱者が抱える痛みを解消するための将来展望を具体的に示す必要がある。医療、年金、税制、予算で安心・安全な生活を享受できる政策が不可欠。地域の中小企業が力を発揮する政策を推進しなければならない。
  8. 新たな支持層の獲得を目指す。保守系無所属の市町村議員を保守の草の根運動家と位置付けて再結集を図るべきだ。
  9. 国民の心をつかむためには政治家の「捨て身の姿」が必要。きめ細かく分かりやすい広報の展開に取り組む。
  10. 参院選候補者の日常の地元活動を活発化させる。それに耐え得るエネルギッシュでアピール力のある候補者でなければ勝利できない。

自民党はもともと地方に強い政党でした。日本の農家が安心してコメを栽培できるよう、コメの流通制度などを守ったり、地方の土建屋がうまく飯を食っていけるように巨額の公共事業を各地にばら撒いて地方に強い地盤を築いてきました。しかし、1991年のオレンジ・牛肉の自由化、それに引き続くコメの部分的自由化、1980年代後半からのバブル崩壊、そしてそれにともなう財政の悪化に伴う地方切捨て自民党は徐々に支持基盤を失っていきました。森総理の頃の内閣支持率は酷いもので、わずか一桁という有様でした。地方からも都市からも見放されていた・・・。それが当時の森内閣だったのではないかと思います。そこに田中真紀子を従えた小泉純一郎が登場します。彼のキーワードは「聖域なき構造改革」です。そこには新自由主義、小さな政府という意思が明確に示されていました。都市住民にとって農村部を中心とする地方に対する優遇、自民党に圧力をかけるような各種業界はいわゆる「既得権益」そのものでした。彼は「既得権益は奪い去る」と明確に断言し、国民、特に今まで自民党を支持してこなかった都市住民から熱狂的な支持を得ることに成功しました。連立を組んでいた公明党もこの波に乗り、創価学会以外の市民からも支持を得るようになりました。

彼の改革は新自由主義に基づき「小さな政府」「聖域なき構造改革」「既得権の廃止」という方針が示されていましたが、これが実は貧富の差を増大させ、セーフティネットとしての社会保障を縮小するような改革であるということに多くの国民は気付きませんでした。「三方一両損」の改革などで、国民自身も大きな痛みに耐えていましたが、それはむしろバブル崩壊後の日本を構造改革により再生するためには不可欠であるという認識でした。9.11のテロのインパクトが強かったこともあり、新自由主義は右翼的な思想とも交わって拡大していきました。そして、小泉が退陣し、安倍が出てきた頃に「格差問題」が取りざたされ、多くの人が新自由主義小泉改革の問題点を認識するようになりました。一方で改革に絶大な期待を寄せていた人は、格差問題を理由に「聖域なき構造改革」がないがしろにされるのではないか、既得権が復活し、ばらまき型の無駄な国政が行われていくのではないかという危機感も感じていました。そしてそんな中で今回の参院選を迎えることとなったのです。

今回の選挙の敗因・・・自民党は地方への配慮や格差への配慮が足りなかった。そう分析しています。たしかに今回の選挙では地方の一人区でことごとく民主党議員に敗れています。これは地方が、自らを切り捨てるような小泉改革にNOを突きつけたと解釈しても間違いないと思います。しかし、地方だけでなく都市部でも自民党は苦戦していました。本来なら2人とも当選していた区でも民主党が2人当選して、自民党議員が1人減ったりすることがありました。多額の税金を取られている割にそれが地方への交付金補助金として使われている都市住民からすれば、地方切捨てや既得権廃止はむしろ促進してもらいたいぐらいであり、地方と同じ理由で安倍自民にNOを突きつけたとは考えにくいでしょう。もちろん、世代間の格差、同一世代内での格差を嫌って安倍にNOを突きつけた国民も多かったとは考えられますが、一方で安倍総理には「改革への実行力が足りない」「小泉のようにもっと改革しろ」と苦言を呈していた国民も多かったと認識しています。安倍自民には地方から「改革をやめるべきだ」という主張と同時に、都市からは「改革をもっと進めよ」という主張が発せられ、ほぼ板ばさみ状態にあったのではないかといえるのではないでしょうか。

そこに小沢民主が出てきた。小沢民主は「霞ヶ関解体をも視野に入れた小さな政府の推進」「セーフティネットの充実」という一見すると相矛盾するような政策を掲げてきました。また、同時に「格差問題にも取り組む」という姿勢を示してきました。安倍自民に不満を抱いていた、地方、都市部の各住民はこの斬新な政策に魅了されることになります。地方民にとって公共事業・インフラ整備を減らされるような「小さな政府」には余り同意できないが、「セーフティネット」の充実には大いに賛成できるでしょうし、都市部の住民も「セーフティネット」などの社会保障費の増大は既得権の拡大につながりかねないため、あまり好ましいとは思っていないものの、「霞ヶ関解体」というコンセプトには強いインパクトを受けたものと考えられます。

今回の参院選は、改革をもっと推し進めて欲しい都市部の住民、改革を止めて格差問題に取り組んで欲しい地方の住民が、主張としては完全に相反しているにもかかわらず「今の安倍自民は嫌だ」という点で一致し、民主の支持に回ったことが自民党が大敗した本当の理由ではないかと考えられるのです。

もちろん、都市vs地方という単純な区切り方には問題があるかもしれません。地方にも改革をもっと進めて欲しい人もいるでしょうし、都市にも格差問題を非常に重視している人はいます。しかし、傾向としては地方=改革反対、都市=改革賛成というものがあるのはほぼ間違いないように思います。

これらのことを総合して考えると、今回の参院選の解釈は少し複雑なものになります。安倍自民が否定されたことは確かなのですが、同時に日本の世論は大きく2つに割れているというという解釈ができるのです。小さな政府派と大きな政府派で。実際、先日行われたYahooのインターネット投票では
福祉の給付と負担は、北欧型と米国型のどちらが良い?
結果は北欧型70%、米国型30%と北欧型が有利ですが、ほぼ世論が2分されていることが見て取れると思います。多くの人は北欧が人口が元から少ないうえに資源・経済的に豊かなことがうまく制度を成り立たせている側面があるという事実を知りませんし、実際に税負担をみんなでしていこうという話になるとこの分布もまたガラッと変わってしまうのではないかと思います。コメント欄を見るとさらに面白くて、「福祉はなくすべきだ」という過激な意見の持ち主がいたり、借金を完済してからこの議論をすべきだという北欧型支持者がいたりします。また、北欧型支持者の中には官僚のムダを指摘して、それを改善した上で北欧型を行うべきだという人も多いのですが、世界的に見ても「官僚というのは構造的問題で一般的に仕事に無駄が多い」ということが知られています。公務員は「儲ければいい」というような企業とは違い、「何が国民にとっての利益か」ということを考えながら仕事を行うため、どうしても議論も多くなり仕事が停滞しやすくなるのです(他にも組織が巨大化し、大企業病になるというような理由もあるのですが)。官僚に無駄が多いという問題というのは、決して日本だけの問題ではないのです。北欧のような大きな政府になるとそれを管理する人がどうしても必要になりますから、公務員の数というのはどうしても増えてしまいます。北欧でも公務員の数は非常に多い(女性が多いみたいですが)。そうなると多額の税金が無駄になることはほぼ覚悟しなければなりません。その構造的な問題を国民が受け入れなければ北欧型は実現不可能でしょう。とにかく、上のリサーチ結果は日本の世論が大きな政府と小さな政府で大きく2つに分かれているということを如実に示すものです。

今回の参院選結果の解釈で最も重要なことは、実は今、日本の世論が大きく二分されていることである、と私は考えています。

さて、話題は変わりますが、こうなると将来目指すべき医療制度というものは、決して一つの方向性に収束できるとはいえないのが実状です。医療従事者の多くは大きな政府による国民皆保険の継続を望んでいますが、徹底して小さな政府や米国型福祉を望んでいる国民も多いわけです。

最近、僕は「混合診療」というのが実は最終的な妥協案として今後のカギを握るのではないかと考えています。「混合診療」は初期の規制改革・民間開放推進会議の議長であったオリックスの宮内会長が強く言い出したものです。日本の健康保険制度では保険制度で採用されている治療法の範囲内で治療を行う限り、保険が適用されて3割負担で済みますが、保険として認められていないような先進的、あるいは実験的な治療法を受ける場合、その治療に関する費用は保険で認められているもの、認められないものを含めてすべてが全額自己負担となります。したがって先進的な治療を受ける場合は、そのクスリ代や術料以外にも、通常ならば保険適用されるような医療行為(たとえば普通の点滴とか)分まで自己負担となってしまうのです。これは割高なプレミアムを支払ってでも先進的な治療を受けたいという熱心な患者を、先進的な治療から遠ざける原因となっています。もし「混合診療」が解禁されれば、先進的な治療に関する費用だけが全額自己負担となり、それ以外の通常の医療行為に対しては健康保険が適用されます。最近ではがん患者からの強い要望などを受けて、一部の抗がん剤などでは例外的に混合診療が認められていますが、日本では原則混合診療は禁止となっています。

一見すれば混合診療は患者により安く先進的医療を提供できるという点で、今すぐにでも導入すべきだと思われるかもしれません。しかし、日本医師会混合診療に反対しています。その理由は次の通りです。「混合診療が導入されると、新しく普及してきた比較的高額な最新治療を健康保険に組み込むかどうかという議論になったときに、医療費削減に躍起になっている政府が頑なにその治療法を健康保険から除外しようとする可能性がある。もし、そのような状態が進めば、医療を受けたい人はほとんどのケースで保険の範囲内で必要な治療をまかなうことが出来ず、自己負担分を常に用意しなければならなくなり患者の負担は逆に増大する。さらにこの自己負担リスクを軽減するという目的で、保険会社は積極的に高額の医療保険を売り出すことが予想される。これは結局は保険会社の利益にしかならない」というものです。特に混合診療を強く主張した宮内氏はオリックスという生命保険を手がける会社の会長なので、余計にその疑念は深まるばかりです。実際、彼はかつて社内雑誌のインタビューでこのような発言をしています。

――最も厚い壁は医療ですか。
 医療、福祉には確固たる「鉄壁の城」ができています。それを崩しにかか
るのですから、少々のことでは動きません。特に医療はGDPの7%という大
マーケットです。

――医療ではどのような方法で改革への道筋を作れるのでしょうか。
 医療は保険医療という日本独特のシステムが立ち行かなくなった。だから
保険制度を、小さくしようということになります。医療イコール保険だけで
はなく「自由診療も認めよ」という考え方です。公は保険、民は自由診療で、
公民ミックスで多様な要求に応じればよい。しかし医師会は反対です。制度
変更と同時に既存制度でも、もっと合理的にやれるのではないか――既存制
度の中身の透明度を高めようということです。

――具体的には。
 既存の保険制度のなかにある無駄を排除しよう、たとえば、報酬の出し方
が基本的に出来高払いですが、症状別の標準方式、定額払いという方向にも
っていきたい。国民の医療費をGDPの7%に抑えるというのはとんでもな
い。10%でも何でもよいと思います。国民がもっとさまざまな医療を受けた
ければ、「健康保険はここまでですよ」、後は「自分でお払いください」と
いうかたちです。
 金持ち優遇だと批判されますが、金持ちでなくとも、高度医療を受けたけ
れば、家を売ってでも受けるという選択をする人もいるでしょう。
 それを医師会が止めるというのはおかしいのです。医療サービス、病院経
営には民間人の知恵を入れるべきでしょう。企業が病院を経営してもよい。
利潤動機の株式会社に、人の命を預かる医療を担わせるとは何事かと言われ
るわけですが(笑)。

太線で示した部分に医師たちは強い憤りを感じているわけです。

こういう事情があるゆえに混合診療の問題は複雑です。しかし、小さな政府と大きな政府を目指す人が二分されている中で混合診療というのは一つの解決策としては非常にうまく出来た制度だと考えられます。なぜでしょうか。最近の日本人の価値観の多様化というのは非常に面白いもので、患者というものは治りたいがために常に最先端の医療を求めると思われてきました。しかし、ここ十年ほどで緩和ケア、ホスピスの考え方が広まっていることに代表されるように、無理に治療するよりは自然に死にたい、病気を受け入れたいと考える人が増えてきています。このことは患者は常に最先端の医療を求めているわけではなく、治療自体はセーフティネットとして機能している現状程度のものでもよく、むしろQOLを高めるような医療を求めている人が多くなりつつあるということを示唆しています。大きな政府を目指す人がセーフティネットとしての医療を強く求めている一方、小さな政府を目指す人は市場原理の導入と治療の自由選択を求めています。「混合診療」は基本的な部分は国民皆保険でカバーし、先端の高額な部分を自己負担とするのでこの両者の希望を同時にかなえることが出来るのです。

もちろん、医師会が心配するように、普及してきた最新の治療法が保険適応されにくくなるかもしれないという問題はあります。しかし、私個人ではそれは保険診療の内容を審議する委員会の人数配分を調節することで解決可能なのではないかと考えています。たとえば、患者側や医療側を保険会社側よりも多めに設定しておけば、本当に医師や患者にとって魅力的な治療法は必ず導入されることでしょう。医師や患者も効用に疑問を示すような治療法であれば、認められることはありません。適度に新しい治療法が保険医療に組み込まれていけば、保険会社が巨額の儲けを得られるような医療保険は必要性が乏しくなります。多少は儲けるかもしれませんが、完全に自由診療、民間の健康保険が基本のアメリカのように患者の利益を著しく損ねるようなことはないはずです。

混合診療・・・・今でも多くの医師たちは反対してしますが、混合診療が導入されれば医療産業も順調に伸び、患者に先端医療を提供できやすくなるという面も考えると、一つの大きな可能性として捉えてもいいのではないかと思います。

ちなみにどうでもいいことですが、Yahooのみんなの政治で自分の立場を計測してみました。
http://seiji.yahoo.co.jp/guide/position/kekka.html?px=5&py=2
僕は身近なリベラル派の身近な小さな政府派だそうです。