鉄研コミュニティ

完全に内輪ネタです。
昨日母校の体育祭に行ってきました。もともと私が所属していた鉄道研究部は文化部であって体育祭とは何の関係もないのですが、文化祭と体育祭ではOBが何人か訪ねてくるという伝統もあって、毎年必ず何人かが足を運んでいます。普段は離れているOB同士で情報交換するのもよし、OBと現役で勉強の相談やクラブの話をするのもよし、現役と一緒になって誰かを応援するもよし、OBと現役の垣根が殆んどないというところが双方にとって魅力となっているわけです。僕は卒業時から毎回来ていることもあって、OBになっても現役さながらに救護所の担架の片付けと、放送関連の片づけを手伝っています(高度な電子機器を扱う放送委員会と電気に強い鉄研のつながりは昔から大きい)。まぁ、クラブで展示を行う文化祭ならともかく、体育祭でOBが何人も集まってくるようなクラブはおそらく鉄研だけだと思います。

でも、なんで皆さん集まってくるのかということを考えたときに思うことは、やっぱりあの部には一つの強力なコミュニティがあるのだろうなということです。ここであまり詳しいことを言うのも気がひけますが、鉄研の部室は他のクラブの部室と違って土足厳禁、ダンボールが床に敷いてあります。部室に入るときは靴を脱いで、ダンボールの上にあぐらをかくようになっています。そして部室の真ん中には今や文化財ともいわれる「丸いちゃぶ台」が置いてあるのです。上に乗っかったり、ちゃぶ台返しをした人がいたので、ちょっと壊れかけてるんですけどね。あのちゃぶ台に鉄道雑誌を載せながら鉄道談義をしたり、レイアウトの設計を考えたり、電気の講座をしたりしています。世代によるのですが、僕らが高校の時は本当に家族さながらのような雰囲気で話していました(全員男ですけどね)。朝はせいぜい5人ぐらいしか部室に来ませんが、昼休みは部室があふれるぐらい(12名ぐらい?)の部員が集まってきて、弁当片手に本当に色々な話をするわけです。鉄道の話をしていることもありますし、アニメの話や社会やニュースに関する話、技術の話、読んでいる本の話、旅行の話、文化の話、パソコンの話・・・とかくいろいろなことを話しました。もちろん、12名同時に話すことは出来ないので、3、4人のグループで話題を統一して話していたんですけどね。で、毎日ある時間になったらとあることがきっかけで部室がもみくちゃ状態になったり(つーか、その儀式の第一被害者は私なんですが)、先輩に向かってヤバイ言葉を吐いた後輩が「ねぇ〜、〜君、今君何と言ったかなぁ〜」と先輩からやさし〜く可愛がってもらったり、下克上があったりとか本当に笑いの絶えない楽しい生活でした。

授業が終わって放課後になると続々とみんな集まってくるわけですね。特に作業もない日もです。で、ぱっと部室に来て荷物を取ってぱっと帰る人もいれば、昼休みの延長線上で1時間、2時間、下校時刻まで色々な話に花をさかせる人もいました。みんな家族同然の関係なので、部室に入ってくるときに「ただいま」と言う部員もいますし、部室の中で何かをきっかけ(誰かの靴下が飛んでくるとか、誰かが持ってきたエアガンが炸裂するとか)に中で大暴れになることもよくありました。たまに部員同士でいちゃいちゃしていて、それを冷やかしてみたりとか(ちなみに男子校であることをお忘れなく)。他の部員を締め出してみたり、逆に閉じ込めてみたり(今だったらイジメと捉えられかねないですが、みんな遊びであることは分かっていましたしね)。そこに中高生関係なくその場にいる人が参加していたということ、またそれが絆を深めることにもなったのかなぁという気がしています。

作業のある日は10人近い部員が下校時刻まで残って、レイアウトを作っていました。暑い日差しの照りつける夏も扇風機を回しながら、六甲颪の吹きつける冬も作業灯を暖房代わりにしながら屋外で作業をしています。雨の日も部室棟(通称、長屋)の廊下で作業をしたりしていました。Nゲージのレイアウトと一言に言っても、6.3m×4.8m、10線の巨大なものだけにやることは沢山あって、

  1. 設計・計画
  2. ボード作りのための木材調達
  3. ボード作り
  4. 設計に基づく「けがき」作成
  5. コルク道床敷設(カーブにはたこ糸でカントをつける)
  6. フレキシブルレール敷設
  7. 砂まき(園芸用の砂をまいて、ボンド水で固める)
  8. ポイント敷設、ボード末端線路の調整
  9. ストラクチャ制作、設置
  10. 塗装、レール磨き、電気系統整備

これをほぼ1年間、放課後を中心にして総時間にして300時間近くかけて行うわけです。もちろん、資材選定や買い物なども自分たちで行わなければなりません。まさに総力戦になります。

さらに10線もあると、コントローラを価格も修理代も高い市販品でまかなうのは無理だということで(しかもかなり荒い扱いをするので、すぐに壊れる)、電気関係もすべて自分たちで自作して動かしています。ただ、電子工作と電気の知識が必要になるので、それを教育しないといけない。大学生相手だと物理の知識もあるわけで、電気の知識を教えるのは比較的簡単ですが、相手は豆電球の回路計算しかしたことがないような中学1、2年です。彼らにオームの法則キルヒホッフの法則からトランジスタ・ICの型番の見分け方、計算方法まで教えないといけないわけで、かなりの時間を教育に費やすことになります。もちろん、すべての部員にそういう教育を行うことは無理なので、希望者だけで電気班を作って、高校生が作業のない日を中心に講義をしています。教育の時間を含めたら、市販品を買った方がいいじゃないかという指摘も受けそうですが、電気や電子工作を勉強することに損はないし、その過程で得た知識は将来の進路選択に役立ったり、視野を広くするものであることは間違いないと考えています。また、ポイントをパソコンから制御するというような独自のプロジェクトも行っているので、そういう人材はどちらにしても必要なのです。電気と同時にプログラミングの講義も行っていて、今でも僕はたまに大学がない日の放課後に教えに行ったりしています。

ちなみに電気班出身者ですが、必ずしも電気技術の道に進んでいるわけではありません。電気だけで独自の班を作る以前の電気の専門家は、工学部で電気関係やコンピュータ関係の道に進んでいる人も多いのですが、電気班の創設者である僕は医学部ですし、都市工学をやりたい人や、文系に進学予定の人もいます。でも、異分野をよく知っているということは、新しい融合分野を作っていくことができるという点で大きな可能性を秘めている、そういう人材が世界をリードしていけるような分野を創造し、活躍する姿を夢見て色々な教育をしています(もちろん、そういう人がでてくる保証はありませんけれどもね)。だから講義の内容は電気にとどまりません。大学レベルの物理や、科学技術をとりまく環境、新しい融合分野の紹介など、できるだけいろいろなことを調べて、伝えるようにしています。

こういう活動が行われていることもあり、作業などを通じても部員の一体感はすごくありました。もちろん、たまに意見が割れて派閥ができたり、キツイ作業が肌に合わないと辞めていった部員もいましたが、もはや家族も同然の強い絆がありました。だからこそ、皆が卒業して大学や学部がバラバラになってもこういう機会があるごとに集まってくるのだと思います。自分たちで集まるとネタに走って周りが見えなくなるという点では、一種の内向きのムラだという批判も受けそうですが、大学という中高に比べたら人間関係の希薄な環境で生活している人々にとっては、部員・OBたちで濃くつながりあうことの出来る、そういう日々を思い出すことが出来る憩いの場なのだと僕は思っています。

話はまったく変わりますが僕が社会学に興味を持ったきっかけは、高3の塾の現代文の先生がコミュニティや社会問題などの話を社会学的な視点から色々していただいたこと、それが鉄研という強いコミュニティを持つクラブを統率した経験を持つ僕にとってはとても興味深かったことです。

ちなみにここ数年恒例の行事になっているのですが、体育祭が終わるとみんなでサイゼリアに食べに行くことにしています。今年は社会人から大学1年生まで6人のOB(僕を除いて全員東大生・東大出身)と、中1から受験生まで23人の現役部員たちで食べに行きました。その後、二次会と言うことで高校生8人ととOBでカラオケを歌いに行きました。途中から僕と院生の方と抜け出して、更に上のOBの方と待ち合わせて1時間ほど飲んでお話をさせていただいたのですけれどもね。メーカーのつらさや出向先の地方公務員の生活など、色々なお話を聞くことが出来ました。やはり縦つながりの価値は貴重だと思います。この強力なコミュニティと伝統、そして縦のつながりを現役部員たちには守っていって欲しいなぁと切望する限りです。

(どうでもいいことですが、鉄研部員には医師の子供はそれなりに多く、ここ数年部長も医師の子供がなぜか多かったりするのですが、なぜか伝統的に医学部への進学者は5年に1人いるかいないかという低率になっています。僕も高3の最初まで医学部なんて眼中にありませんでしたしね。やはり鉄道オタクは機械フェチが多いので、工学部に行ってしまうのでしょうか)