ポリシー


最近、こういうことを考えています。

なんだか、結局は福知山線事故のときに考えた結論とよく似たようなものになってしまいますね。

非常に面白いもので、がらっと立場を変えてみると、ある一つのことが正反対に見えるんですよね。そうすると今まで主張していたことが、いかにツッコミどころ満載であるかということがよく分かるわけです。逆もしかりですね。

結局、取りまとめる側としては最後はその中間あたりで調整するということが必要なんだろうなぁということを強く感じました。その場合、どちらも満足度は50%で不合格なんですが、たいがいそうしないとバランスが取れないですからね。二つの論理の間に挟まれると結構つらいものがあります。いわゆる中間管理職のジレンマというやつですか。

医師の立場もそれなりに分かるし、患者の立場もそれなりに分かるし、法曹の立場もそれなりに分かるようになってくると、どの側から出される主張もなんか過激で違和感を感じることが多いんですね。そこまではどう考えても無理だろうと。

医療界と法曹との調整の仕事にあたっている厚労省の方が「(医療側の)小松先生も(法曹側の)加藤先生も過激だから」とおっしゃっていた意味がよく分かりますね。

ところが、まぁ、最終的には双方の合意という形で期限内に結論を出さないといけませんから、できるだけうまく進むようにと双方の中間あたりで結果をまとめるわけです。すると、どちらからも「こんな意味のない結論にするとはどういうことか。官僚が骨抜きにした。お前らは最悪の連中だ」と批判が来るわけです。でも、一体どうしろと・・・。

どっちに偏っても、それは双方からとてつもない批判が飛んでくることになります。偏りがひどければ癒着を疑われても仕方がありません。そんななかで、結局は最も無難な真ん中近辺を取るしか方法がないのです。どちらにせよ批判は受けることになりますがね。

官僚というのは国民や医師にとっては憎き存在かもしれませんが、実際のところは中間管理職の立場なんですよね。22、3才の若い年代からいきなり中間管理職のジレンマに追い込まれるわけです。本当に見ていてかわいそうだなと思いました。仕事中の彼ら、特に主査〜補佐クラスを見るといつ見ても頭を抱えています。中にはストレスからか目がうつろになっている人も何人かいて、2、3年で配置換えをしてあげないと精神的に持たないだろうなと思いました。

まぁ、これは職場に行かなくても学会とかで呼ばれた若い官僚たちの姿を見ていると分かるんですけれどもね。ここぞとばかりに何十歳も上の人間に袋叩きにされて、正直、ネットで官僚批判をしていた頃の僕でも残酷だなと思いましたね。ある種、医師の非常に残酷な側面を見てしまった瞬間でもありましたが。医師ってこんな人間だったのかと、がっかりしました。(それ以降、私は急速に「崩壊したらいいじゃん」思想に傾いていくのですが)

話を戻しましょう。
立場が変わると、とかく同じ物事が正反対に見えることすらあります。その中でどちらの見方が正しいのか、あるいは別の視点が必要なのか、それを本気で考えていくと、なんとなくこの世の中というものが見えてくるような気がするのです。

前回もほぼ同じ結論でしたが、今回、最終的に僕が出した結論は、おそらくこの世には正しいと断言できるようなものは何もない。そのゆらゆらとした不安定さ、曖昧さを僕らは自分なりに受け入れて生きていくしかないのだ。
ということです。また、同時に次のようなことも強く感じました。自らが幸せだと思ったら、たとえ厳しい状況でも幸せになれるのであり、自らが不幸だと思えば、たとえ恵まれた状況でも不幸になるのだ。
だからお互い、多少の批判はあっても尊敬と感謝の気持ちは持っていたい。

この考え、色々調べていくと般若心経にそっくりなんですよね。
色即是空、空即是色とかまさにそういうことのようです。
ブータンという仏教王国があります。そこは最近までほぼ鎖国状態で、とても優秀な国王が政治を取り仕切っていました。その国王が1976年に21才の若さで提唱したのが、GNH(Gross National Happiness)という考え方です。これはGNP(Gross National Product)のように国家の豊かさを国力や経済力で表すのではなく、国民の幸せ度合いであらわそうというものです

例え経済的に貧しくても、幸せにはなれる、そう国王は説いたわけです。
ブータンは最近までテレビとインターネットが禁止されていました。テレビやインターネットは有益だが、恐ろしい側面も含んでいると国王が感じたからでしょう。最近になって、国王はテレビとインターネットを解禁しました。ただし、使い方には十分気をつけるようにと忠告した上で。
にもかかわらず、国王が心配したとおりのことが起こっていると言います。隠れてネットの暴力ゲームを楽しんだり、違法行為に走る若者が急速に増えているそうです。また、他の国の経済的な豊かさを知ってしまうことで、自らの状況が不幸だと感じる人々も増えてきました。結果としてブータン民主化の道を歩むことになりました。それが果たしていいのか・・・民主国家に住む私には、そうも思えないのですけれどもね。

「知ってしまうことによる弊害」というのは数多く存在します。私が研究室をやめたのも、他の研究室の実態というものを知ってしまったからでした。また、医療崩壊の原因にも「研修医が各科の現状を知ってしまった」「医師が医療崩壊という現象を知ってしまった」ということが挙げられます。高3のときに1年間ネットをやめましたが、受験だったにもかかわらずなんだか幸せでした。知ることは必ずしも人を幸せにするとは限りません。ただ、そのことをきちっと認識していれば、そこまで不幸になることもないのかなとも思います。