若い人々の「しけ」

うちの大学は十年以上前に自治会がほとんど有名無実化してしまっていて、学生からの要望とか一緒にみんなで大きなことをやろうという雰囲気がぱったりと途絶えてしまっているんですね。唯一、学祭は先輩方が延々と残されたものなので、使命感からどの学年も担当学年になったときは一応40%ぐらいの人がボランティアで頑張っていますが、他の学年からはおおむね冷ややかな目で見られているのが実状です。結局は自己満足に終わっているという、あまりOBの前では大きな声で言えない状況になっています。(つーか、芸人に金かけすぎ。というか出演料高すぎ)

で、あまりに学生全体でのまとまりと情熱みたいなものがないので、僕を含めてうちの学年の一部で自治会を復活させられないだろうか、ということを教務課を交えて検討しはじめています。クラブをまとめて上に立つ組織があれば、そこにいろいろな人が集まって学生生活全体についていろいろなことが話せるのではないかと。ところが、その実現可能性を検討していく上で、一つ重大なことに気付いてしまいました。よく見ると、6学年いるうちの4学年ぐらいが、「しけた学年」という評判を持つ学年なんですよね。自分のことだけを考えていて、あまり他人のことや全体的なことは興味がない。全体で何かをしようとすると、雑務的なものが多くなるからでしょうか。ある種、官僚組織的な「しけ」すら感じるときもあります。

(注:「しけ」とは主に若者の使う言葉で、「しらけ」と「湿気」の混合みたいなやる気のない雰囲気)

これはうちの学校だけのことかというと、そうでもない気がするんですね。今日、たまたま三宮で高校の同期で一浪して京医に行った友達と出くわして電車の中でしゃべったのですが、まぁ、たいがい京大でもそうらしい。

で、さらに母校の後輩から聞く話では、たいがい最近の中高生というのは「しけている」そうですね。各人が好き勝手なことはしているけれども、なんかまとまってしようということはあまりない。その場でちょっと盛り上がって終わってしまう、という感じみたいです。

いろいろな人からの話を聞いたり、自分が感じていることを総合すると、最近の若者にはどうやら

  • やる気のなさ
  • 事なかれ主義
  • 自己保身

という、なんだか官僚組織よりもひどい雰囲気が漂っていることは事実のようです。特にゆとり世代以降、その傾向が非常に強まっている感じがしますね。できるだけトラブルを起こしたくないという意識が働いているんでしょうかね。今回の学祭でも中心的に動いてくれているのは、一浪や二浪なんかで現役よりかは年齢が少し上の人です。

自治会の話は別として、社会全体がそういう「しけた」雰囲気でいいのかという点については、とても心配しています。大きな夢もなく、スリルもない社会は確かに激動の時代に比べれば安定していて理想的な社会にも思えますが、そういう社会が世界的に見て生き残っていけるのか・・・私には疑問に思うところも多い。少なくとも、そういう社会が訪れたときに日本がどうやって生き残るかということは、価値観の問題も含めて今のうちから考えておかないといけないと思うのですね。

昨日の話の続きにもなりますが、我々は一国家の国民としてこれから、経済的な利益を求めるのか、幸せをもとめていくのか、あるいは平等さをもとめていくのか、そういう議論はあってしかるべきだと思うのです。もっとも、この問題は簡単に決められる問題ではありません。現在自分がいる環境、立場によって求めるものは個人個人によって異なります。しかし、私たちが国家という統一制度のもとで生活している以上、なんらかの形で求める方向性を決めなければ制度として矛盾があちこちで生じかねません。私たちは何をもとめて生きていくのか・・・・。本当に重要な問題だと思います。