産経の特集

やばいぞ日本
なかなか面白いですね。まぁ、医療崩壊の次は日本崩壊かな、なんてこのごろ思っているわけですが、まぁその可能性がないわけでもないようです。というか医療崩壊というのは農業崩壊とともに、日本崩壊の序章にしか過ぎないのかもしれません。
ちなみに官僚の方に話を伺うと、10年以内に官僚機構が実質的に崩壊するのではないかというような話を結構耳にします。内部の雰囲気的なものがあるんでしょうかね。官僚がやっている仕事を僅かながら知っているものとして、その影響は考えたくないぐらいですね。

まず、国会は機能しないでしょう。ということで国政は滅茶苦茶になりますね。一部の官僚出身の議員が活動できるぐらいでしょうか。国会が機能しないと法案の採決は行われませんね。となると、日本中の多くのシステムが停止又は硬直化します。それで既存の制度がうまく行くのならいいんですが、うまく行かないから現在あちこちで問題が噴出しているわけで、そういうところは数年のうちに崩壊してしまうでしょうね。システムっていうのは、「あるちょっとことが予想外のことを引き起こす」というのが定義だという説もあるぐらいで、それがthresholdになって他のうまくいっている分野もどんどん崩壊していくでしょうね。たとえば、今問題になっている年金が崩壊すれば一気に信用不安が高まりますから、まぁ想像したくないようなことが次々と起こることでしょう。

ま、何が起こるかは起こってみないとわからないことも確かなんですが。

個人的には官僚制度はガバナンスシステムとして今の社会情勢には合わなくなってきているので、やめてもいいかというのは思います。ただし、今の日本にはそれに代わるものがない。それが一番問題なわけです。政治家もスキャンダルの追求に明け暮れ、政策はそっちのけ。国民も自分の業界以外の国政には無関心。で、問題が起こるたびにその結果を考えずに官僚たたきばかりしていると。「官僚は悪い」というだけで、なぜ官僚がそういう行動をしてきたのか、他にどういうシステムが考えられたのか、そのために今なにをしなければならないか、ということについては考えない。「悪い」というだけで止まってしまっているんですよ。そこから先のちゃんとした原因の追究がなければ、同じ過ちが繰り返されるだけだと私は思います。

私自身もできれば国のために何か出来たらなぁとはいつも思ってはいます。できれば官僚も医師も政治家も国民も患者も信用して、「みんな、日本のために頑張ろう」と言いたいわけです。ところが、今の状況を鑑みるに大きな希望なんて一つもない。見えてくるのは諸所の衰退と崩壊ばかりです。どこかが崩壊してどこかが発展するというのならば、まだ希望は持てます。しかし、平等主義の日本では「崩壊するのなら周りも一緒に崩壊しろ」「お前も苦しめ」という論理なんですね。「豊かになれるものから先に豊かになれ」というような発想はない。希望は成長の源です。希望がなければ成長もしないし、新たな希望も生まれてはこない。この悪循環がどんどん加速しているような気がするのは私だけでしょうか?

私は皆から叩かれている人を擁護し、叩いている人を批判するということを昔からやってきました。当然、他人と同じことをすることが尊ばれる日本社会では、自分が火の粉を浴びることもしょっちゅうです。それでもこの活動を続けるのは、私自身の本能という側面もありますが、「叩いても何の解決にもならない。状況を悪くするだけだ」ということを強く感じるからです。実際に、叩かれる人々がなぜそういう行動をしたのかということを探っていくと、もちろん、どうしようもない人も中にはいるのですが、ちゃんとした合理性を見出せる場合の方がはるかに多いのです。合理性がありながら叩かれるという状況では人間不信が生まれます。そして、その不信は連鎖的に広まっていきます。信頼というのは双方が信用しないと成り立たない、いわゆるANDの関係だからです。そして、どんどんと不信は広がっていき、やがては無気力や絶望へと変化していき、システム全体の存続を脅かします。これが「崩壊」と呼ばれる現象です。これを食い止めるためには、どこかで不信の連鎖を断ち切らねばなりません。ところが、悲しいかな日本は「お前も苦しめ」的な考え方が強い国です。特に第二次大戦後、その傾向は平等教育によって増強されました。不信は断ち切られるどころか、むしろ促進されます。

高度経済成長からバブルの日本では、そもそも苦しむ人自体が少なかったためにこの現象はあまり顕在化しませんでした。むしろ、「みんなで一緒に豊かになろうという」平等的な発想が成長を牽引したとも考えられます。ところが、バブル崩壊後、長く続いた不況の下で、経済的に苦しむ人が増えました。リストラによる失業が大量発生しました。その結果、人々と企業・政府の間で不信が発生し、それが連鎖的に広まって今のような状況に陥ったのではないかと私は考えています。かつての成長を支えた立役者が皮肉にも命取りとなったわけです。

となると、国民性や価値観を大きく変えるためにも一度、日本は崩壊した方がいいのかもしれません。というか崩壊しか新たな希望を見出せる道がない、というのが現状のようにも思えます。日本人が諸所の崩壊を通して、その価値観を変えられるか・・・・日本の運命はそれにかかっているような気がします。