医療を取り巻く文化の違い

WMA医の倫理マニュアルより

上述のように、医師は昔から他者のニーズは考慮せず、自分の患者の利益のためだけに行動するよう期待されていました。医師の共感、能力、自律という主要な倫理的価値は、自分の患者の要求に応えることに向けられていました。医の倫理に対するこのような個人主義的アプローチは、医師のパターナリズムから患者の自律へと変化していっても、つまり、患者が受ける医療内容を決定する基準はまず患者自身の意思だというように考え方が変わってきても、生き残りました。けれども、近年になって、もうひとつの価値、すなわち正義(justice)が医療上の決定における重要な要素となってきました。それは、資源の分配について、もっと社会的なアプローチ、すなわち他の患者のニーズを考慮に入れるアプローチを要求しています。このアプローチによれば、医師は自分の患者だけでなく、他者に対してもある程度の責任を負います。

配分の問題を扱うにあたり、医師は共感と正義という原則のバランスをとるだけでなく、どの正義へのアプローチが適切かを決めなければなりません。正義のためのアプローチには以下のようなものがあります。

資源は市場原理に従って分配されるべきである
(支払いへの能力と意欲を条件とした、個人による選択。貧困者には多少の慈善的配慮あり)。

資源はすべての人の最大の利益に従って分配されるべきである。

  • 平等主義(egalitarian)

資源は厳密にニーズに従って分配されるべきである。

  • 修復主義(restorative)

資源は歴史的に不利に扱われた人に有利なように分配されるべきである。

上述のように、医師は、自由主義的アプローチを好むと思われる伝統的個人主義の医の倫理から、自らの役割をより社会的にとらえる方向へと徐々に変わってきました。しかし、たとえ自由主義的アプローチが一般に否定されたとしても、その他3つのどのアプローチが優れているかについて、医の倫理学者たちは合意に至っていません。どの検査をするか、他の医師へ紹介すべきか、入院が必要か、ジェネリック薬よりもブランド薬を使ったほうがいいか、誰が移植臓器を受け取るべきかなどといった問題に当てはめた場合、明らかに、それぞれのアプローチからは、非常に異なる結果が生じます。功利主義的アプローチは、おそらく個々の医師が最も実践しにくいものです。なぜなら、さまざまな医療行為から予測される結果に関する膨大なデータが、自分の患者だけでなく、他の患者全員についても必要だからです。残り2つ(自由主義を含めるなら3つ)のアプローチからどれを選択するかは、医師自身の個人的道徳観とともに、医師が働く国の社会政治的環境にもよります。米国のように自由主義的アプローチを好む国もあるし、スウェーデンのように平等主義で知られる国もあります。さらに南アフリカのように修復主義的アプローチを試みる国もあります。多くの医療政策立案者は功利主義を推進します。このような相違にもかかわらず、正義に関するこれら複数の概念が、一国の医療システムのなかに共存していることも少なくありません。そしてそのような国では、医師は自分の好むアプローチと一致する職場環境(例:公的病院か民間病院か)を選択できる場合があります。

私はどちらかというと功利主義的なアプローチを持論としています。すなわち「最大多数の最大幸福」を至上とする考え方です。仕事にそれを持ち込むかは分かりませんが。
ともかくいえることは、日本では現在、社会の価値観の大きな変化に伴って色々な考えが渦巻いているため、「どの考え方が健全でどれが異常である」というようなことは簡単に言うことができないということです。倫理学者ですら結論が出ていないのですから。

このような状態で本当に必要な認識は、異なる考え方を一律に敵とみなすことではなく、異文化と考えることだと私は考えています。私は一般国民から医師への遷移状態にありますが、医師の文化が一般国民や患者の文化と比べて特異であることを肌で感じます。同様に医療政策を立案する官僚の文化が、医師や一般国民の文化とは全く違うことも強く感じました。当然、健保組合のバックとなっている経済界の文化も医師や官僚の文化とはまた違うものでしょう。今年の自分を一つの言葉で締めくくれといわれれば、私は「カルチャーショックに翻弄された年」と名づけます。それほどに医療を取り巻く文化の違いというのは大きなものなのです。

このことは医学生というある状態からある状態へ遷移する過程にあるからこそ体感できたことなのかもしれません。おそらく、私も医師になれば医学を全く知らない患者の立場を忘れてパターナリズムに走り、官僚になれば医師の立場を忘れていくでしょう。それはそれであるべき姿の一つだとは思いますが、「医療には様々な文化が渦巻いている」という認識だけはいつも片隅においておきたいものです。