難しい

Hepatitis Cの訴訟、決裂してしまいましたね。線引きせずに救済を求める原告側と、救済はしたいが、際限なく和解金が増えることを避けたい国側との難しい協議だったのではないかと推測いたします。

なぜ、厚労省が線引きにこだわるか。色々な薬の添付文書(添付文書は右列のリンク「医薬品医療機器総合機構」の情報提供サイトからダウンロードできます)を読んでいただくと分かるように、クスリというのは一般の方が思っている以上にリスクが伴うものです。医薬品の承認においては、市場に薬を出して患者さんの治療に役立てるというベネフィットと、薬がもつ副作用や薬害のリスクを比較しなければなりません。これらは治験結果などから、ある程度の推測をつけることは可能ですが、医学や薬学は全く未完成の学問であり、予期せぬことが起こったり、大したリスクでないと思っていたものが実は大きなリスクだったというようなことは十分にありえるのです。最近では分子生物学の発展により、わずか1塩基対の遺伝子変異が、薬の作用に大きな影響を与えることすら分かってきました。ちなみにHepatitis Cのウイルス自体も1988年に発見されており、新興感染症に分類されることもあります。効率的な培養が難しいらしく、研究がなかなか進まないため、有効なワクチンは現在も開発途上です。

ここから言えることは

  • どんな薬にも絶対安全はないし、大半の薬はそれなりのリスクがある
  • すなわち誰にでも薬害の可能性はある
  • 逆に大半の患者さんにとってはリスクが高い薬でも、特定の患者さんには大変な治療効果をもたらすことがある

ということです。このようにジレンマだらけの中で薬の承認が行われるのですから、その難しさは察するに余りあります。不確実性が大きい上に、それがもたらす結果があまりに重大すぎるのです。本当に難しい選択です。

私が推察するに厚労省の論理としては、「もし、ここで安易な妥協をすれば、薬の副作用はすべて国や製薬会社の責任ということになってしまい、今後、肝炎以外にも莫大な訴訟を抱える可能性がある」という危惧から、「あくまで責任そのものは裁判所が認めた範囲とし、被害者は苦しんでいるので、救済として何十億か払いましょう」という結論に達しているものと思われます。遺族や被害者にとっては、これは「責任逃れ」の姿勢に見える上に、同じ病気で苦しむ人は全員助けたいと思っていらっしゃるので、「線引きをしない一律の救済を」ということになるわけです。

お金がいくらでもあるのならば、すべての患者を一律に救済するのがよいに決まっていますが、あいにく日本は莫大な財政赤字を抱え、急速な高齢化で社会保障費は増えるばかりです。もし、この訴訟だけで終わりならば、もう少し国は支出してもいいんじゃないかと私は思いますが、前述のとおり、安易に責任を認めれば本質的に誰にも責任が見出せないような薬の副作用まで、国や製薬会社の責任にされかねません。そうなれば国は莫大な財政支出を迫られることになってしまいます。全国民にその負担ができる覚悟があるのなら、それでも構わないと思いますし、国もそのような方向で動くでしょうが、現実にはそうはなっていないのです。「厚労省がこの問題を他人事と考えている」と被害者が指摘しているのと同様、多くの国民も国家財政の危機的現状や薬の副作用リスクに関して他人事のように考えている現状ではそれは難しいでしょう。もし、この問題について「役人の体質が悪いから問題が解決しない」とおっしゃる方がいれば、その方こそ最も無責任な発言・考え方をしていると私は思います。

まぁ、私が言えることでもないとは思いますが、個人的には双方とも歩み寄って早期に解決して欲しいと願っています。あくまで個人的意見ですが、国はより広い救済をすべきだし、原告は責任時期そのものを線引きをすることは認めてもいいのではなかろうかと私は思います。また、血液製剤以外にもHepatitis Cやその他ウイルス性感染症で苦しむ人は多いわけで、何よりも今よりも有効で根本的な治療法・予防法が開発されることを一番望みますし、機会があればそれに尽力したいと考えています。