全員集合

昨日は中高のクラブの作業日ということで、現役の連中に会いに行こう&部長の誕生日祝いをしようと顔を出してみると予想通りOBだらけ。東京組が帰ってきているんですね。58回生なんかは全員集合状態になっていました。まぁ、みんな考えることは同じってことで。ただ、OB率が40%近くにもなって、後輩に会い来たのか後輩の作業の邪魔をしに来たのか分からない状態になってしまいました。でも、自分が在学中には小学生だった後輩と気軽にしゃべれるのはうちのクラブのいいところです。

で、ぐだぐだしゃべったり作業の手伝いor邪魔をしていると前顧問の先生登場。創立80周年記念誌があるという話を後輩から聞いて、「買えませんか?」とねだってみると校長先生が特別な取り計らいをしてくださって、おまけ付き2500円で販売して下さいました。この記念誌、前半は卒業生の寄稿や学校の歴史紹介、後半は震災時の思い出という構成になっています。卒業生の寄稿には大ガス会長の野村氏やテレビでおなじみ勝谷氏のものもありました。勝谷氏の記述が特に面白くって

(一部改変)
私の文章は屁理屈とハッタリのリズムから成り立っている。この屁理屈がどこで鍛えられたかをつらつらと考えるに政経の授業だったのではないか。絶対主義天皇制と堂々と黒板に書くK下M之助先生と、大東亜共栄圏の再興を夢見る私とが、思想信条的に相容れるわけはなく、授業はいつも激突の繰り返しだった。先生は若く、私は幼く、意地でも負けるかと双方ともに思っていたフシがある。なんとかMノスケを論破しようと、私は大学の教養の教科書にまで赤線を引いて暗記した。

K下M之助先生は今も教師としてご健在で、私も教えていただきました。○ッダム・スミスとか話し方がおかしいとか言って、バカにする生徒は多かったですし、私の学年でも紙飛行機が20機ほど舞う始末でしたが、政経好きの私(普段成績では低空飛行を続けていた私ですが、この科目だけ学年トップを争っていた時期があります)にとっては結構面白い授業でした。私もあの人にミクロ経済の質問をして結構困らせていたことは確かですが、論破しようとまでは思いませんでしたね。さすがは勝谷氏だけあります。

下の記事で紹介した全共闘の時代の解説もありました。あのリンクの記載は記念誌の記載とは矛盾しないので本物だと思います。70年の6月22日に3日間のHR兼ストライキを決行、試験の全廃・安保反対等を決議したようです。すごい時代があったものです。試験を廃止したらどうやって評価するんでしょうかね。でも、この闘争の副産物が制服の全廃・私服通学です。今では制服の規定そのものがないため、制服が欲しくても買えません。私の場合、小学校は公立でしたので、実は今まで制服というものを着たことがありません。制服という概念自体が私の中にはありません。従って、近年あちこちの公立中高で議論されている制服廃止の議論は私からすれば「何をこんな下らない事で。全廃すりゃええやん」と思ってしまうわけですね。でも、私服はOKですが、茶髪、半ズボン登校、自転車通学禁止という不文律はあります。自転車通学禁止なのは駐輪場がないため。半ズボン登校禁止は、準大人としての自覚を求めているわけです。茶髪禁止ってのが他校の人には前近代的に見えるようですが、私からすれば制服+茶髪ってのが一番不恰好に見えますね。毛も傷むだろうし、個人的に嫌いなんですよ茶髪は。Naturalが一番です。許容できるとしても薄染めまで。茶髪したければオキシドールでもかぶっとけと言いたくなりますよね。どうせ年取ったら嫌でも育毛剤か白髪染めのお世話になるんだから。まぁ、これも学校で醸成された考え方なのかもしれませんが、茶髪・ピアスを解禁するぐらいならまず私服解禁したら?というのが私の意見です。だってそうでしょ。日本人はdefaultで黒髪じゃないですか。それを変異型である茶髪にするのを禁止にするのと、もともと本質的に自由に着ていいはずの服を全員一律に拘束するのでは強制力の度合いが違います。茶髪OKの制服制なんて矛盾してますよ。

さて、話が脱線しまくってますが、こうやって当時のN高新聞をみていると、最近評議会でも議題になっているようですが、なぜ中央委員会・評議会・新聞委員会の三権分立体制が構築されたのかというのが分かったような気がしました。新聞委員会は中央委員会・評議会を中心とした闘争派の生徒と、その他の冷ややかに闘争を見ているいる生徒を見渡しながら、中央委員会・評議会が暴走するのをペンの力によって抑止していたのです。当時はそういう役割を担っていたであろうことが、文面から読み取れました。私が評議会の参事官をやっていた頃に、現行の三権分立体制では兼任禁止条項のおかげで中央委員と新聞委員の兼任が出来ずに不便だし、新聞委員会は監視の役目を果たしていないということで生徒会規約の改正投票を行い、中央委員会(含新聞委員会)・評議会の二権分立体制に変えたのですが、1970年頃は新聞委員会はちゃんと監視の役目を果たしていたわけです。今の新聞はあまり悪口をいうわけではありませんが、イマイチ切れがないんですよね。そういう時代ではなくなったというのもありますが、事実の羅列が多いのではないかというのがOBも現役も思っているところです。

最近、評議会では僕らの頃に変えた二権分立を三権分立に戻す動きが出ているようです。保存されているかどうかは分かりませんが、我々のころに成立した生徒会規約改正法では新聞委員会の中央委員会への併合は永久的なものではなく、新聞委員会が宣言さえすればいつでも三権分立に戻せるというようにはしていたと記憶しています。従って、そもそも評議会が三権分立を議論しなければならないことはないはずなんですけどね。それはさておくとしても、そもそも新聞委員会が中央委員会に併合された理由は、中央委員会がコンピュータを扱える新聞委員会の人間を中央委員として参加させることが出来ないことに不満を持ったためでした。生徒会規約の中に兼任禁止条項がありますからね。現状の生徒会の問題は現役が決めることだとは思いますが、私からするとなんでこの時期に、この現状で三権に戻す必要があるのかということは疑問に思います。確かに二重系より三重系の方が安全性が増すことは確かなんでしょうが。

あと、気付いたこと。

  • 震災を乗り越えて今も健在な旧校舎は1938年に建てられていた・・。6年前に建てた新校舎にはすでにヒビが入っているというのに。
  • 旧制中学の頃から通知表のテンプレートは変わっていない
  • 机椅子も昭和一桁台から変わっていない
  • 数学演習も少なくとも1960年ごろからあった