ネットは当てにならない

ネットの支持率は当てにならない? SNSで人気のオバマ氏、敗北
インターネットの登場によって社会構造が大きく変化しつつあるのは確かですが、ネットはやっぱり当てにならないというのは強く感じるところです。しかも、さらに恐ろしいことにそのネットの怪しささえ認識していない人が意外に多いということです。PBLでまとめ役をしているのですが、裏を取らないまま一つのサイトに書いてあったことを鵜呑みにして誤ったことをスライドに載せてしまう人はかなり多いです。

従って僕の基本的な考えは「ネットに書いてあることは大抵がゴミだと思え」というものです。大量の廃棄物の中にわずかに光るダイヤモンドがある。どれがゴミでどれがダイヤモンドかを見分ける能力はその人次第。また、置かれる環境や文化によっても見え方は全く違う。ある人にとってはゴミにしか見えないものでも別の人から見ればダイヤに見える。それもすべては読み手次第。

ある意味、当たり前なのですがこの世界では「価値観は共有されている」という考えは捨てた方がいいということが最近分かってきました。僕らでも後輩を見ていて感じることですが、5年も世代が違うと考え方や習慣というのは全く異なったものになります。話がかみ合わないことも多い。インターネットは10才〜60才ぐらいの人が参加していますから、世代の差だけ考えても10ぐらいの価値観が渦巻いていることになります。いわゆるイケイケどんどんで人生の大半を過ごしてきた世代、少年期はバブルで明るかったのに、就職する頃には氷河期になっていた世代、物心ついた頃から日本がしぼみ他国に追い抜かされる姿ばかりを見てきた世代。価値観が違わない方がおかしいわけです。

30代以上の多くは「こんな世の中になってしまったから」ということを言いますが、僕らからすれば「確かに問題は多いけど、もとからそんなもんじゃないの?前はそんなに平和で牧歌的だったのか?そんな世界、見てみたいよ」と言いたくなります。「世の中そんなもん」という感覚なので、耐えられない不満があるときに、何か工作をして体制を変えようとするよりは、さっさとやめて転職すればいい。それがいやなら、負け組として我慢し続けるんだね、という方向に流れるわけです。我々の世代は、「格差」をあるべきものとして認めていますし、自然の摂理のように考えているので「格差」がどうこうと言って抵抗する気はありません。自己責任の時代なんで。

これだけ価値観が違うのですから、ネットでは僕らは各自のダイヤを探すことに腐心していればいいわけで、途方もなく続くゴミに対していちいち反応するのはあまり意味がありません。

ネットなんてそんなもの。僕はそう思いますけれどもね。