結局は国民vs医療界

「日本の医療制度をどうするか」言論NPOフォーラム
ここの議事録は、医療制度改革に携わった経済財政諮問会議のメンバーも出席していてなかなか面白いものになっています。2年前と少し古いのですが、基本的構図は変わっていないように思えます。

少し引用すると

それで、新聞報道等、どういうところが問題かと申しますと、とにかく医療費を抑えろと。医療費の抑制という言葉がよく出てまいります。それから、これからご説明するとおり、私どもはマクロ指標と背比べするべきだということをずいぶん言ってきたわけですけれども、医療費を経済の大きさとすぐに比べてどうのこうのというのは乱暴過ぎるのではないか。つまり、早い話が経済がマイナス成長をしても、風邪を引くときは引く。それからインフルエンザが流行れば、医療費が膨らむではないかと。経済と医療費をダイレクトに結びつけるのは乱暴過ぎるとこういう議論がよくございました。
 こういうあたりが私たちがやってきた議論とずいぶんずれていると思いますし、それから医療費の改革というと、これは新聞報道もそうですし、あるいは政治家の議論、国会での審議もそうだと思いますが、いわゆる自己負担、本人2割か3割かという議論が新聞紙上にも非常に大きく見出しとして出ますし、そこだけにかなり注意が集中しているきらいがあると私は感じているのです。これからご説明するとおり、それは正しくない。

先進国のなかでは、例えば日本、ヨーロッパ、アメリカとしますと、アメリカが医療制度については特殊な国です。医療制度に関心がある方はどなたもご存じでしょうけれども、アメリカの場合、メディケアとかメディケイドという公的な保険が一部にはありますけれども、包括的な公的医療保険制度はない。それは先進国のなかではむしろ特殊なケースであって、アメリカのように日本がなればいいと私は思っていませんし、また経済財政諮問会議のメンバーのなかにもそのような考えを持っている人は私はいないと思います。

諮問会議の議事録を見たことがあるし、規制改革会議初代議長の宮内氏の講演も聴いたことがあるのですが、確かにこれは言えているでしょう。厚労省の医療費抑制政策の黒幕は経済財政諮問会議ですが、この諮問会議が果たして本物の悪かというと、自分が為政者の立場になって考えるとそういう気はしません。彼らは彼らなりに合理的な視点で日本の国のあり方を議論しているからです。変な教育を受けてきた人を除いて、合理的なことが悪であると考える人はいないでしょう。厚労省や諮問会議を悪に祭り上げるのは簡単ですが、政治は国家というスキーム内では為政者の視点で行われるのですから、例え別の人が行ったとしても似たような結論が出てくるだけです。

そして経済財政諮問会議らしい意見が出ます。

もちろん理屈としては、公的な給付をもっと手厚くして欲しいから、保険料率も上げていいのだ、税金だってもう少し上がってもいいですよと国民的な合意ができれば、それは公的な医療費だって膨らんでいいという理屈になると思いますが、これは現実に関するジャッジメントと言いますか、現状に対する判断ですけれども、現実的ではない。現実には、社会保険料の未納が問題になっている。みんなが消費税をぜひとも10パーセントに上げてくださいと、消費税10パーセント国民運動が起きているかといえば、そんなことないわけです。
 やはり、保険料、年金ほどひどくないですが、未納の問題がありますし、それから消費税と言ったって、みんななかなか渋って、5パーセント上げるというと嫌な顔をするということですので、これは仕方がない。いまの財政の状況を見ると、公的な医療費のほうはある程度抑えなければいけない。公的な医療費は、私は財政論だと思います。
 これは当たり前だという気がいたしております。公的なお金でやるわけですから。その場合には医療費も聖域ではないのです。医療というと命が関わるではないかといわれる。しかし、命が関わるといえば、防災はどうか。台風が来る。土砂崩れがある。命が関わる。防災をきちんとやらければいけない。21世紀で一番大切なのは教育だろうと言われたらどうですか。それは反論できないですよね。そういうところに税金全部使っているわけですから。

全体的にまさにその通りと私は考えます。国民に負担の覚悟がないのなら、ある程度抑えざるを得ない。ただ、最後の部分は疑問です。じゃあ命が大切だというなら、何でも命に関連付ければいいことになってくる。現に最近では道路公団地方自治体は高速道路が必要な理由として、高速道路ができれば救急車が早く都会の大病院に着けるからという、こじつけとしか思えない理由を挙げています。東国原知事などは「命の道路」なんて言い出す始末ですし、福田内閣メルマガでは僻地医師の「高速道路は必要」という医療界では少数派の意見をもっともらしく掲載していました。命は大事ですが、ちゃんと費用対効果を考えるべきです。高速道路や防災設備は作るのに何千億もかかりますが、それで何人の命が救われるのか。逆にそのお金を医療費に当てれば何人の命が助かるのか、そういう視点がなければ命に関連することなら何でも金を入れよ、ということになりかねない。

公的医療費というのは、公的な保険インシュランスであって、そのインシュランスのところは公的であるが故に、財政論でやらざるを得ない

そりゃそうですね。財政が逼迫していると支出は難しいでしょうし、黒字ならば支出が可能です。最終的には全体のバランスとして、国民国益のためにどれを重視するかということになってくる。現状では医療は普段はお世話にならないからと軽視されがちです。

 それから、住民税が払えないと言いますか、払っていない方の場合には特別の手当てがあると理解しています。いずれにしても、そういう所得水準が非常に低い方については特別な手当てをしなくてはいけないというのはわれわれも当然そう思っているわけですが、標準的な中堅より上の人たちについては、風邪を引いたとか、たまに指を切ったというときには、それでわれわれの保険制度が安泰になるのであれば、免責制というものを入れてもいいのではないか。これが私たちの提案であったわけです。
 この提案はそんなに評判悪くないのですけど、しかし、医師会には評判悪いです。それから、厚労省の方はどうなのですかね。本気で反対なのかどうか、ちょっとその辺よく分からないところがありますけど、正式には反対ということです。

風邪とか指を切ったぐらいの軽症ならばある程度、自分で負担するのは仕方がないと思います。もしも大怪我をしたときに最善の医療を施してくれるのならばね。問題は、いかにして軽症かどうかを自己診断できるかです。風邪の症状の中には稀に重篤な病気の前兆になっているものがあるので、その辺の判断が素人には難しい。最近では国民をむやみに怖がらせる番組(たけしの本当は怖い〜以下略)が人気になって、余計に心配症が増えているように思えます。マスコミの悪影響ですね。

マクロ目標については以下の説明が参考になります

皆保険を維持可能にするためには、やっぱり負担のほうから考えなくてはならない。そうなると、財政論で経済の規模とある程度背比べをしてもらわざるを得ない。なぜなら、保険料の元になるのはみんなの所得。それから、税金を突っ込むといっても、税金も所得に応じて税金は入ってくるものですから、結局は経済全体の所得ということは、経済の規模。これと背比べしないといけない。それで、私たちはマクロ指標ということを言って、公的な医療費については、経済の規模と背比べしてくださいと。こういうことを言ってきたわけです。
 これは今回の大綱に盛り込まれました。私たちは目標と言っていたのですけど、大綱の言葉では、目安となる指標という表現で入ったと思います。しかし、目安となる指標というのをみなさん頭のなかで書いていただいて、最初の漢字と一番最後の漢字。目安となる指標の頭とお尻の漢字を二つ合わせると目標ということです。国語辞典でも目安となる指標、それこそが目標でしょう。私たちはそう思っているのですけど、そう思ってない方もいるかもしれません。
 とにかくそういうものを入れたわけです。これも思い出しましたけれど、私は新聞報道等で非常に不本意だったのは、諮問会議や何かでマクロ指標を提案している。それはそのとおりなのです。しかし、まず第1に国民医療費なのか、公的医療費なのか、そこがあいまいだ
 私たちが言っているのは公的医療費であって、国民医療費を頭から押さえつけるのは必ずしも良くないと先ほども申しあげた。

「目標」と「目安となる指標」では全然違う気もしますがね。ちなみに広辞苑では
目標は「目的を達成するために設けた、めあて」となっています。「達成する」という言葉があるとないでは全然違うと思いますが。

目標にするのは間違いと思いますが、経済や財政の観点からマクロ指標を評価の目安とすること自体には異論はありません。最後に

医療というのは、個々別々の医療行為があるわけですから、一律とかマクロということは本来なじまないのであって、医療の政策というのは基本的にミクロの積み上げしかあり得ないということを私たちは充分に理解していますし、そういうことを初めからずっと言ってきたわけです。
 ただし、ミクロを積み上げた上で、公的な医療費のところは、これはマクロの数字が出てきます。これは何べんもお話ししているように、財政論があるわけですから、マクロの指標と背比べしてくださいと。結論的に5年に1度ぐらい背比べしてくださいということを言ってきたのが、大綱のなかにも盛り込まれたというふうに考えております。

医療への理解はしてくれているようですが、公的にやる以上、財政論による大幅介入は避けられないというのが経済財政諮問会議の主張のようです。

吉川氏の話から経済財政諮問会議の主張を私見も含めてまとめます。

  • 医療費の公式: 公的医療費+非公的医療費=国民医療費
  • 国民医療費と違って公的医療費は財源を国民からの税や保険料に頼る以上、財政的視点は避けられない
  • 財政的視点では収入源を考えると、公的医療費は経済の規模、すなわちマクロ指標と比較する必要がある
  • 公的医療費の公式: 公的医療費=経済の規模(GDP)×政府の税率(保険料含む)×医療への割当率

なるほど、確かにその通りだと思います。となると、医療技術の進歩にあわせて国民医療費が増えて医者が増やせるかどうかはこの4つの選択肢しかありません。

  1. 非公的医療費を上げる
    1. 非公的医療費を増やして国民医療費を増やす =混合診療や保険免責の推進…(1)
  2. 公的医療費を上げる
    1. GDPを上げる =かなり難しいがパイを増やすことになる(2)
    2. 税率を上げる =大きな政府へ…(3)
    3. 医療への割当率を上げる =社会保障重視政策…(4)

多くの医師の主張は主に(4)です(一部では(3)も)。
国民は(3)だけは避けて欲しいと思っています。(4)については割当率を高くすることには概ね賛成ですが、どこから削るかを巡って業界や地域の間で論争が起きています。道路特定財源の問題で地方が抵抗しているのもこの一種です。結局、賛成しているように見えて議論が膠着しているため実質的に不作為となって(4)に反対しているようなものです。なぜ不作為かというと国民医療費は少子高齢化と医療の進歩によって自動的に否応なく増えていくという現実があるからで、それに対して膠着してなんら手を打たないことは不作為に当たります。

ここから言えることは医療界は(3)(4)を強く望んでいますが、国民は積極的に(3)に反対し、消極的に(4)に反対しています。医療費抑制策も今や医療界vs厚労省の構図ではなく、実は医療界vs国民の構図なのです。医療割当率増加に対する不作為の責任は国民にあります。だから、立ち去り型サボタージュでその責任を国民に負ってもらおうということになっているのです。もちろん、実際としては身も心もボロボロになって、やむなく立ち去るんですけれどもね。

それに対して、現実的解決策として経済財政諮問会議は(1)(財界は(2)も)を提案しています。ただし、(1)は医療格差をもたらします。すなわち、金持ちはカネさえ出せば先進的な医療や軽症でも手厚い医療を受けれるけれども、普通の人は標準的な医療を受けるなり、軽症ならOTCで済ませなさいということです。しかし、例え混合診療でもセーフティネットは整備すべきだというのは経済財政会議も強く主張していることが読み取れます。

まぁ、(1)も程度次第でやり過ぎると問題が大きいと思いますが、国民と医療界が(3)と(4)を巡って対立している以上、こういう施策はやむをえないと感じます。

本当は国民と医療界は相容れない・・・共通の敵のごとく役人が何かと槍玉に挙げられますが、役人の無駄を減らしたところで浮く金はそこまで多くはありません。もちろん、役人の無駄や政治家の我田引道は追及する必要はありますが、少子高齢化がますます進むこの先20年、30年を考えたときに根本的に重要なのは、(3)や(4)をどうするのかということです。その点で国民と医療界は対立しています。命という他に替えられぬカードを巡って。国際的に見ても大概は国民が今まで国政や医療に対して無責任で勝手な態度をとり続けてきたことによるものですが(国政に関心がなさ過ぎるし、未だにお上感覚。おまけにメディアに流されすぎ)、その点を国民が直視できるかに医療の未来、そして国民の命の未来が決まると言っても過言ではないでしょう。

国民には黒川氏の言うようにcivil societyへの意識改革と現実逃避をしない覚悟が求められています。

医学生という一般国民と医療界の間にいる存在として、厳しいですがこのように警告させていただきます。