東方の音楽

1月頃にニコ動で電波ソング魔理沙は大変なものを(ry)を聴いてから、「なんじゃこりゃ!」と興味をもち、東方妖々夢(体験板:古いだろ〜)や東方ネタにはまってしまったわけですが、最近、原曲の方がはるかに素晴らしいんじゃないかということに気付きました。ネクロファンタジアとかも好きですが、特にPC98での旧作の音楽を聴いてみると結構しっくり来るんですよね(当然、古いのは持ってないので、ニコ動で見つけたやつ↓)。
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この1番の幻想郷〜Lotus Land Story〜を聴いた瞬間、これは「喜多郎」の流れを汲んでいると思いました。こんなバックの曲を聴いたことがあるんですよ、喜多郎の曲で。亡くなった祖父が好きだった影響もあって、小学生の頃から喜多郎の曲を子守唄のように聴いていました。その影響か僕のHDDの中には歌詞がないinstrument系の曲ばかりが入っています。いわゆる癒し系とでもいうのでしょうかね。

もちろん歌詞があるとBGMとしては不適切というのもあります。単なる楽曲が右脳で処理されやすいのとは対照的に、歌詞は言語で一般的に左脳で処理される傾向がありますが、実は作業で大事な計算や論理思考も左脳なのです。従って、歌詞入りの曲を聞くと歌詞の方に左脳が奪われてしまい、論理思考や計算が阻害されやすくなります。従ってBGMは歌詞なしの方がいい。もともと僕の場合、音楽は勉強やコンピュータ作業のBGMとして使うことが多く、純粋に何もせずに楽しむということは稀なので(だから音質にそこまでこだわることもない。普通のmidiや128kbpsのmp3でも結構楽しめる)、インストゥルメントをたくさん入れておいた方が都合がいいのです。

もっとも日本人の場合、虫の音や琴などの邦楽器は左脳で聞いているという話もありますから(僕は実はこういうのを音楽の途中に聴くと体がゾクゾクするタイプ。やっぱ明らかな左脳系なのか)、単純にinstrumentがよいというわけでもなさそうですが。喜多郎シンセサイザーはどちらの部類になるのでしょうかね。

まぁ、そんな話は置いておいて、電波ソングよりもどうも東方の原曲に強く魅かれる傾向があるのは、喜多郎好きなのが影響しているのかもしれません。そういえば、喜多郎も昔は「ファーイース・ファミリーバンド」というグループを作っていたのでしたっけ。

なにか共通点を感じてしまう東方の音楽です。もっともゲームはかなり下手です。すぐにピチューンしてしまいます。キーボードでやっているからかもしれませんが。

左脳右脳で思い出しましたが、僕の指組み・腕組み診断は「さう脳」です。それに対応する性格についてはサイトによって言っていることが違うこともあって、怪しいため断言しません。TBSのホームページによると、「モノには執着しない!社交的な口達者タイプ」だそうですが、お宅っぽいことからも分かるように、飽きは早いですが執着はするタイプです。口達者にはかなり疑問符がつきます。
一方、一部のブログや心理学専攻者の間で言われていることは、「世話好き・おおらか」だそうです。世話好きなのは認めますが、おおらかかどうかは疑問です。こだわらないところではおおらかですが、こだわるところはかなり厳しい。個人的には左右というよりは右左脳に似ている気もするんですがね。
インプットは論理的に、アウトプットは体感的にというのは結構正しいと思います。数学や物理がすきなのは論理が好きだから。一方、文章は見ての通りフィーリングで書く傾向があり、論理性も重視はしていますが、なんか変な文章になっています。

この診断法で一つ疑問なのは、いわゆる体のゆがみとか普段の生活姿勢は関連しないのか?ということです。たとえば日本では左側通行(歩行者も法律とは逆でたいてい左を通る)ですよね。雨を側溝に流すため歩行者の歩く路面は大抵左側に傾いているので、左に体重がかかりやすくなり、それをバランスするために体全体が右にくの字に曲がるクセがつきますよね。そうすると、普段の姿勢が右傾きなので、椅子に座るときは右ひじをつこうとします。腕の組み方で試してもらうと分かりますが、右が下に来る場合、右の手掌が左の腕を支えるため楽に肘をつくことができますが、左が下に来る場合、右の手甲で左の腕を支える形になり、関節が曲がりやすいためか、特に大きくもたれかかったとき、うまく左腕を支えることができません。となると自然な適応反応として右腕が下にきてしまうことが考えられるのです。逆にこういう姿勢上の問題が性格を変えている可能性も否定はできませんけれどもね。

一度日本全国で大規模な調査をしてみて腕組みが右になる人が有意に多いのであれば、こういう可能性も考えないといけないことになるでしょう。

どこまで話が飛んでいるのやら・・・