防げないことの悔しさ

自らの組織で行われていることの危険性に気付いていながら、そしてそれをトップに助言できる状況にありながら、仕返しや組織の協調性を乱すことを恐れ、中途半端で隠喩的な指摘しかできず、結果的に大惨事を招いてしまった悔しさというのは、悔やんでも悔やみきれないものである。たとえ、自らにそんな義務や権力がなかったとしても。

一方、自らがうまく行かないことを組織に責任転嫁し、どこの組織でもある軽微な法令違反を外部に告発し、組織ごと転覆させ、多数に迷惑をかける行為は果たして社会正義なのだろうか。たとえその組織に確かな法令違反があったとしても。

私には本当の答えが分からない。協調性と正義のバランスをどうとればいいのか。
おそらく、どこかに答えはあるのだろう。しかし、それを見出すのは難しい。
たとえ、見出せたとしても実行するのは勇気が必要である。
一歩間違えれば多数に迷惑をかけ、自らの名誉も失う際どい世界。
一体何をすればよかったのか。

防げるものを防げなかった、これほど人間にとって悔しく辛いものはない。
三度目はもうゴメンだ。でも、またやってしまうだろう。人間とはそういう動物なのかもしれない。