年寄りが支配する社会

山口の衆院補選で民主が勝ったようですが、若者からすれば少々怖い側面を感じます。民主党候補が勝った主な勝因は「後期高齢者医療制度」に関して「年寄りの負担を増やすな」と叫んだからだそうですが、年寄りが医療費を負担しないとすれば、当然その減収分は収入や貯蓄の少ない若者に降りかかってくるわけです。しかも、最近は少子高齢化によって年少者や若者の人口が少なく、年寄りの人口が多いため、民主主義の原則からすれば必ず年寄りが勝ち続けることになってしまう。若者にとっては地獄の始まりです。

確かに年寄りの中には貯蓄もなく年金でギリギリの生活をしている方もいらっしゃるわけですが、多くの年寄りというのは退職金などで十分な貯蓄があって、必ずしも切り詰めた生活をしなければ生きていけないとは言えない状況にあります。中には海外旅行に行ったり、高級品を買いあさったりして浪費をする高齢者も数多くいます(ツアー旅行や百貨店に行けばその実態を目の当たりにすることができます)。高齢者は金銭的には若者より弱者とは言えないのです。そんな中で、果たして高齢者の負担を減らして若者の負担をさらに重くすることが社会としてよいことなのか、「姥捨て」と言う前に「子捨て」になっていないか、民主党も世論もマスコミも感情的な議論ばかりせず、もう一度よく考えるべきではないかと思います。特に昨今の国民健康保険は、退職して支払能力の少ない高齢者が数多く加入しているため、財政の厳しい自治体では保険料が上昇し、給料の少なく、定職に就けない若い世代が保険料を払えずに無保険となってしまっているケースも散見されます。後期高齢者医療制度でハイリスクの後期高齢者国民健康保険から抜けることで(拠出金の支出は続きますが)、若い世代は保険料が際限なく増えるという空前の恐怖からは開放されることになります。

もちろん、少子高齢化は時代の流れですから、若い世代も負担が増えることは覚悟はしています。今までのような比較的低い負担が続くとは考えていません。しかし、先日も示した下のグラフが表すように今後、生産年齢人口に対する高齢者人口の比(老年従属人口指数)は急速に増え続けることが予想されています。どう見ても緩やかな増加の仕方ではありません。いつか制度に限界が来ることは目に見えていますし、負担が急激に増えるに従って若者の皆保険制度への反発や不信感はますますひどくなるでしょう。「少子高齢化は僕らの親以上の世代が引き起こした問題であって、僕らにはどうしようもなかったんだ。なんでその責任を自分たちだけが被らないといけないのか」。結局は、三方一両損ではありませんが、高齢者と若年者が互いに痛み分けをして初めて皆保険制度が持続可能で納得のいくものになるのではないかと思います。