レクサスとオリーブの木から

興味深い箇所の引用の続き。

グローバルな投資家たちに共通の直感では、ヨーロッパやアジアの多くの国が自国の社会をグローバル化に適応させようと苦心していて、まだスタートラインに立ったばかりの国もある中で、アンクル・サムの国アメリカは、すでに全力疾走で最初のコーナーを回っている。(中略)もし、全世界設計者というものがいるとして、その人物に百年前、2000年の世界は"グローバル化"というシステムが規定しているのだと話したら、設計者は、その世界で戦い勝ち抜く国を、どのように想定しただろうか?答え。アメリカに恐ろしく似たものを想定したはずだ。

グローバル化アメリカ化で、これはアメリカの陰謀であるという理論を展開する陰謀論者は医療界でも未だ多く存在しますが、実はアメリカは昔からフラット化した世界に最も耐性のある社会システムを導入していたのがゆえに、ベルリンの壁が崩壊して世界がグローバル化したときにたまたま一人勝ちし、世界中にアメリカをばら撒くことが出来ただけで、本質はアメリカ化ではなくグローバル化にあるのだということは私も強く感じるところです。陰謀論者は不幸かな、グローバル化アメリカ化を混同してしまっているわけです。もし、グローバル化アメリカ化であり、アメリカの陰謀であるとすれば、アメリカ以外で所得が増える国はないはずですが、実際にはグローバル化に適応して所得が急増した国は数多く存在するわけで(たとえ旧ソ連の国であっても)、この陰謀論がトコトン間違っているのはもはや自明といわざるを得ません。逆に言えば、グローバル化におけるアメリカの優位は絶対ではないということでもあります。アメリカがもしグローバル化に背を向けるような状況に陥るとすれば、別の国が今のアメリカのようにグローバル化を体現する国となるのでしょう。

二十五年前のヨーロッパの大企業上位二十五社と、現在の上位二十五社を比べてみると、その内容はほぼ同じになる。だが、アメリカの大企業で同じように比べてみると、大半の企業が入れ替わっている。

全世界設計者(グローバル化に最適な国を設計する架空の人物)は、変わり者に対して寛容な国を考えたことだろう。変わり者は、例えば、髪をポニーテールにした男や、鼻にリングをぶらさげた女ではあっても、数学の天才だったり、ソフトウェアの達人だったりする。アメリカという国は、ひとりが立ち上がって「それは不可能だ」と言ったかと思うと、別の人間がドアをあけて入ってきて「たった今、それをやってのけた」と宣言するような国だインテルの副社長エイブラム・ミラーは、こう語っている。「日本人にはわかるまい。同質性に、重点を置いているのだから。同じものを大量に作っていたころは、日本人は世界の権威であったし、われわれは同質性をすばらしい才能だと誤解していた。だが、今の世界は、同じものが大量に求められているのではない。すべての人が違うものを求める世界においては―すべての人に(そのニーズと特殊な事情に応じて)ぴったり合うものを作る技術にかけては―アメリカが抜きん出ている」

日本は変わり者、面白いヤツを歓迎する文化に大きく変わるべきだと個人的には思っています。コンプライアンスや警察権力の増強で何もかもガチガチに固めることがどれだけ利益を逸失する行為かということは言うまでもありません。医療界も権威主義的、ムラ的体質から脱却しなければ、崩壊したまま未来はないでしょう。崩壊から新たなものを構築したいのであれば、過去の体制に固執しないことだと思います。

日本は、このグローバル化時代において、さしあたっては利点よりも不利な点の方が多いだろうが、たくさんの主要産業において、今でも非常に有能な生産者であるし、どんなときでも役に立つ高い貯蓄率と勤勉な国民を抱えている。また、高額商品の製造、在庫管理、電子工学と言った分野で、いまだに技術革新の原動力となっている。日本には、優秀でありながら、国内のシステムによって抑えつけられていた起業家が、大勢いる。九十年代にマクロ経済がつまずいたからといって、日本が敗者になったわけではない―ただ、適応が必要なだけなのだ。日本と西欧が、柔軟性のない保護主義的な福祉システム―資本主義を破綻させることもない代わりに、独創的にすることも豊かにすることもないシステム―に固執するかぎり、彼らはアメリカの敵ではない。(中略)この避けることのできない適応は、とほうもない痛みを伴うが、日本や西欧が現在の生活水準を維持するためには、どうしても通らなくてはならない道なのだ。

独創性を重視する国は高い所得を維持しているというのは有名な話です。福祉システムを維持することは大事ですが、その運用を改革する余地はあると思います。

日本経済はこれまでずっと、資本主義というよりもはるかに共産主義的だった。ウォールストリート・ジャーナルの技術コラムニストであるウォルト・モスバーグは、こういう言い方を好む。「日本は世界で最も成功した共産主義国」それどころか、世界でただひとつ、共産主義が実際に機能した国だった。嘘ではない。冷戦時代、日本は、自由民主党という政党ただひとつに支配されていた。自民党に統治される一方で、ロシアや中国と同じようにノーメンクラトゥーラ(特権階級)、つまりエリート官僚によって牛耳られていた。このエリート官僚が、資源の配分先をしばしば決定していた。日本の報道機関は信じられないほど従順で、おおやけに政府に操作されているわけではないものの、もっぱら政府に誘導されていた。日本は、非常に従順な国民を持ち、従わないものには巨大な代価を課していた。(中略)この従順な国民は長時間勤務を受け入れ、その見返りに生活水準の向上と、終身雇用契約と、ある程度の生活の安定を手にいれていた。日本は強制的な貯蓄制度を持ち、国民も企業も、消費ではなく貯蓄と投資を無理強いさせられていた。もし、ソ連共産主義が日本の半分でもうまく機能していれば、モスクワは冷戦に敗れることはなかっただろう。
もちろん、これは少々皮肉の混じった話だ。日本経済には自由市場らしいところもあった。現在の日本経済の3分の1は、グローバルな競争力のある最先端のフランチャイズ企業から成り立っていて、ソニー、三菱、キャノン、レクサスを生み出したトヨタなどが例として挙げられる。これらは世界でも屈指の企業であり、日本に莫大な黒字を生み出してきた。この黒字が日本経済の残り3分の2を守っていたのだ。つまり、これが共産主義的な部分で、うぬぼれて硬化した恐竜のように過去の遺物となった企業が、日本の一党独裁状態から作り出された保護主義者たちの障壁のおかげで、何年も生き延びてきた。

これは痛烈な指摘です。たしかに1990年代以降、1/3のグローバル企業が指数関数的に生産性を伸ばしたのに対し、残り2/3の内需中心のローカル企業はほとんどGDPを上げていないことが研究から分かっています。

日本の歴史を見れば、日本が新しいシステムに柔軟に適応してきたことがわかるが、それは本当にやむをえない危機的状況に陥ったときの話だ。わたしは、日本がふたたび恐ろしいほどの経済力を持つだろうと信じて疑わないが、それは社会、政治、および文化の面で、痛みを伴う適応を遂げたのちに限られる。

痛みを伴う改革といえば、2001年に就任した小泉総理の名言ですが、実はこの本は2000年に出版されているんですね。結局、中身はどうであれ「痛みを伴う改革」はいつかは避けて通れない道なのかもしれません。

以下は、本文を少し分かりやすく改変した政治ポジショニングです。

二つの対立軸があって、一つは貿易を積極的に進め、人やモノの移動を推進するグローバル主義(本文では「統合主義者」)と貿易に障壁を設け、保護主義になるローカル主義(本文では分離主義者)。もう一つは競争に敗れて転落した人に対して、社会的セーフティネットを設けようとする「社会的安全ネット主義」、そして転落した人はその代償を負うべきだという「貧乏人は麦飯を食え主義」(本文ではパンがなければケーキを食べなさい主義)。私は著者のトーマス・フリードマンと同じで、グローバル主義+社会的安全ネット主義ということでビル・クリントンに近い考え方のようですが、この対立軸で政治思想を整理すると分かりやすいです。

国民には次のように伝わる。「政府はあなたに、より高く、より速く、より遠くブランコからブランコへ飛び移るように求める一方で、同時に、あなたの下にネット作ろうとしている。そのネットは、長いあいだそれに乗っかって生活するためのものではなく、より多くの人々を跳ね返し、ゲームのなかに戻すためのものだ」"助け上げる"ほうが、施しよりもずっとましだ。たとえ、これらの助け上げるプログラムで、いくらか金を無駄にしたとしても、その費用は、市場をできるかぎり自由にして世界に開放し続けることから得られる利益や効率に比べると、取るに足りないものだ。

まずい借金をしている国の腐敗した習慣を暴くにあたって、グローバル化は、その国の縁故資本主義者を叩きのめすだけでなく、ただ必死に働き、自国のシステムの規制にのっとって行動し、すべてだいじょうぶだと思い込んでいた多くの庶民をも打ちのめした。人々は、自分の国が上げ底だとは気付かなかったのだ。だが、ロシア、タイ、インドネシア、ブラジルでは、国の床が陥没したとたん、大量解雇、失業、ディスインフレーション、財政引き締め、実質所得の急落が起こった。だから景気回復プロセスでは、基本的な安全ネットと職業プログラムを維持することが必要不可欠となる。(中略)大国で多数の国民が飢え始めた場合、国の指導者はどうしても―たとえそれが長期的には意味がないとしても―さっさとシステムから抜け出して、保護の壁を作り、競争力がつくよう通貨を切り下げて、自己中心的な政策に没頭しがちだ。このような政策が、かつて世界恐慌に"大"の字をつけ、第二次世界大戦へと向かわせたのである。