やっぱり思う光市事件における無知

光市母子殺害事件死刑判決について考える
原文を読んだわけではありませんが、家裁調査官によれば発達レベルが4、5歳ですか・・・。弁護団は4、5歳は行き過ぎでも、11、2歳ぐらいか、といっているようです。
最近、そういう症例に触れ合う機会が多いからこそ思うのですが、彼らに普通の人の感覚なんてものは通用しません。電車とかでたまに見かける「ちょっと変な人」のレベルをはるかに超えているように思います。しかも、自分がやったことをよく理解していないケースもある。
弁護団批判をした多くの国民はこの事実を知って、モノを言っているのでしょうかね?単にマスコミの受売りだけで、見るべきものを見てこなかった人々の意見が正しいとは思えません。普段隔離されていることが多いため、多くの人はそういう人がいるということすら知らないのが現状です。
こうやって偉そうに言っていますが、私自身もつい最近までそういう人がいるということは知りませんでした。だからこそ、今までの自分や多く国民が間違っていた、無知だったということを真剣に思うわけです。まずは実際にそういう症例を聞いたり、患者さんに触れ合ってみるべきだと思います。

患者さんと意図せず触れ合った上で、憔悴しきって「障害があっても健常人と区別することなく死刑にすべきだ」という人もいるかもしれません。私はその意見に対しては批判はしませんが、一つだけ言いたいことがあります。それは「自分が障害なく生まれ育ったことが、どれだけ幸せなことか分かっていますか?」ということです。(正常と異常の議論はさておき)正常が当たり前、じゃないんですよね。確率的に必ず異常は生まれます。本人が意図しようが意図しまいが。障害者の異常さを糾弾する前に、自分自身の確率から生まれた幸せに気付くべきではないでしょうか?

最近、発達障害の研究が徐々に進んできて、器質的な問題や脳の伝達物質の濃度異常、原因遺伝子の候補などが明らかになってきています。私は精神疾患をあまり「こころの病気」と考えたくはない。他の臓器の病気と同様、基本的に「脳の病気」として考えていきたいと思っています。「こころ」というのは脳で作られ、そしてその脳は各種の細胞や神経回路、伝達物質等で構成されるわけですからね。
「脳の病気」だというと、すぐに薬漬けというものを想像する人もいますが、「脳の病気」だからといってクスリで精神疾患がすべて治るということを意味しているものではありません。細胞や物質は正常でも回路の構成が異常になっているケースもあります(各電子部品は正常でも回路の組み方がおかしければ回路は意図したようには動かないのと同じです)。そういう場合は、回路の組換えとかそういう手法が必要なわけで、それはクスリでは難しいと思いますし、原因が細胞や物質の異常であってもクスリが効かない場合もあるでしょう。そういう時には力動的な精神療法も有効かもしれませんし、プラセボ効果で脳以外の臓器の病気が治ることがあるように、自身や周囲の意識改革で「脳の病気」を治す挑戦も重要かもしれません。
それはともかく、私は基本的に精神疾患は他の臓器と同様、「脳の病気」に還元されると考えています。だとすれば、他の臓器の病気の患者がちゃんと配慮されているのに、脳の病気の患者に対してだけ蔑視の目が向けられるというのは非常に不合理だと思います。