迷走麻生もたまには的を得たことを言う

党内外の勢力や派閥に気を遣いすぎなのか、自分の考えすらちゃんと主張できていない麻生総理ですが、さすが風見鶏だけあって、状況分析力には長けているようです。
郵政民営化「国民は内容知らなかった」=05年衆院選振り返り麻生首相

全くその通り。あのときの(に限らず今も)国民はバカとしか思えませんよね。「郵政民営化賛成!」とかいいつつ、どのように民営化が成されるのか、いつされるのか、自分たちにどういう影響が出るのか、そんな基本的なことすら答えられえない国民が大半でした。「賛成!」だなんてよくも言えたものです。あの時は「民営化なら何でもいい」「とにかく小さな政府を」という雰囲気がありましたよね。「小泉支持せざるものは社会の敵」とする雰囲気すらあった。ところが、今になって「財政出動して景気対策を」「大きな政府で弱者救済を」などと言っている始末です。まったくもって意味不明です。

昔の「安保反対!」とまったく一緒ですね。私はその頃は生きていませんでしたが、あのときの方が国民の理解度は高かったかもしれない。実体験していないのでよく分かりませんけどね。また派閥政治に戻っている自民党、いつまでも変わらぬ官僚機構もそうですが、結局のところ彼らを批判する国民もまた、昔のままの体質ってことなんでしょうね。人間、特に農耕文化・定住文化を営んできた日本人というのは本質的に変化を嫌う動物なのです。ところが、経済のグローバル化に伴って変化を好むアメリカ文化と激しい競争をせざるを得なくなり、ことあるごとに「変化を嫌う」という体質が不利に働く。そんな姿を何度も目にするうちに、「変化を嫌う」性質が自らの大きな弱点として認識され、それを受け入れられないがゆえに、「変化を嫌う」象徴である自民党や官僚に自らを投影をしている・・・私の目にはそんな国民の姿が浮かび上がってきます。もちろん、自らも含めてですがね。だいたいこういう批判文を書いている段階で、自分の中にもそういう面があるのが大抵ですから。

だいたい、激しいバッシングの存在するところには必ず投影が存在する、というのは医者と官僚のバトルを見ていてつくづく思います。それに気付くか、気付かないかだけでも、世界観というのは大きく変わるでしょうし、自分に対する認識が深まって面白いものなんですがね。