不安の心理

恐怖を目の前にした人の心理というのは万国共通にも思えますが、実際には個人差とともにその国の文化によっても大きく異なるのではないか、と考えています。アメリカ式のリスクコミュニケーションが、はたして日本でも適用できるのか・・・最近のインターネット層はともかく、「必要な」情報は「自分で」選別するのだという、強い自我意識が見られない日本では、大衆が不必要な情報に気を取られる傾向にあります。成田の時でもそうでした、神戸の時もそうでした。感染した生徒の個人情報なんて普通は必要ない情報です。

よくいいます。行政は危機時にはすばやく、正しい情報を出すべきだ。たしかにそれはその通りですが、不必要な情報まで出すべきではありません。パターナリズム的態度は問題である。それもその通りですが、そもそも日本はなんでもお上まかせ、情報の受容者側がどっぷりパターナリズムに染まっています。普段から情報選別の思考訓練をしていれば、パターナリズム的態度をとらないことによるメリットは大きいと考えられますが、現段階では緊急時の情報コントロールは公的機関が行うよりほかありません。

また、私も含め神経質な人が多いのも特徴です。これはアジア人に多い遺伝子が関与しているかもしれない、ということが言われています。もし、日本人が人種的に神経質であるとすれば、アメリカ人と日本人で反応が異なって当然です。そして、その不安エネルギーがなぜか正しい情報を求めていったり、自分の身を護るといった意味ある活動に向かず、特定の個人を攻撃するといった意味のない活動に向きます。それに対し、攻撃対象となった人は身を守るすべを持っていません。この辺も日米で大きな違いが出るところです。そこをどうフォローしていくかが、日本では大きな問題になりますが、現状は寂しい。そういう状況ではパターナリズムもやむを得ない場合が多々あります。

ともかく共通の危険を目の前にして国民がやるべきことは

  • 危機に対応している人々のやる気をそがないよう応援する
  • 何が必要な情報で、何が必要でない情報かを考える(好奇心にとらわれない)
  • それが考えられない人は公権力を信用する
  • 無意味な個人攻撃はせず、自分は何ができるかを考える

行政の対応評価は落ち着いてからやればいいことなのですから。