ルールとマナーのどちらを尊重すべきか

先日の自動車論議でのコメントは非常に興味深いものでした。皆さん、特に関東圏に所属している人々がどういう価値観で暮らしているのか、というのがよくわかりましたし、わが関西の感覚とは全く異質のものがある、というのを感じました。

で、そこからさらに一般化して、このテーマを今回は問題提起したいと思います。
ある社会に於いて「ルール」と「マナー」が異なる時、人々はどちらを遵守すべきかということです。
私の感覚では関東圏の人々は武士の影響を色濃く受けていますので、ルールの遵守が最低限にあり、その上にマナーがあって、ルールと相反する場合はマナーは守らなくてもよい、という考え方が根源にあるようです。非常に論理的ですが、若干アスペルガー的な印象を受けます。

一方、お上とか公務員が大嫌いな関西圏の人々は、ルール、とは実情を知らない官僚が勝手に押し付けてきたものであり、多少の逸脱ならばルールを破っても全く問題がないと考えています。そして、あまりにルールが実態に合っていないので、地域住民が独自に(非明文的で一定の許容範囲を持つ)マナーを作り、それを守りたがる傾向にあります。たとえルールに従っていてもマナーに反すれば、それは十分叩かれる理由になるのです。臨機応変で柔軟性も高いですが、外者には厳しい文化です。さてどちらがいいのでしょうか?
(誤解を避けるために言及しますが、関東圏で頻繁に使われる「マナー」はこの種の「マナー」ではなく「ルール」に近いものがあります。マナーとはあくまで相手への思いやりから発生するもので、こういう時はこうすべしという1対1関係にあるものではありません。一方、関西圏では「ルール」も「マナー」という言葉も大嫌いなのでみんな使いませんが、実質的に「マナー」が重視されます)

私は関西人ですから、やっぱり関西の考え方の方がよいと考えます。昨今の日本は、なんでもかんでも「ルール」に頼るようになりました。何かあったら「マニュアル作ります」「マニュアル通りにやって」。千代田区には「マナーからルールへ」という看板もあるそうです。しかしルールはやはり杓子定規です。ルールの重視は、「ルールさえ守ればそれでいいんだから」という考えを生み出します。そこには「マナー」を作り出す「相手への配慮」という精神はみじんも感じられません。はっきりいってロボットと同じです。ルールを守ること、そのこと自体が目的化してしまうのです。相手がいるならともかく、相手もいないとき(例えば車や人一人もいない交差点)に味気のない「ルール」など守って何になりましょう?

一方、マナーは非常に曖昧で捉え難い概念ではありますが、根底に「相手のことを配慮する」という精神が根付いている極めて有機的な概念です。ルールを守るのと違い、マナーを守るということは、少なからず相手のことを考える機会を提供してくれます。相手のことを考えると、自分がある行為を起こした時、それを受ける人、それを行った人双方の立場に立って複眼的に物事を捉えることができます。人によって立場の推測の仕方は異なるので、価値観の違いによるコンフリクションも絶えませんが、それゆえに自分が思っているマナーとは多少異なったことをする人がいても、最終的にはそれを許容できるだけの受容力があります(受容が不可能な時は言い合いや争いになりますが、関西ではそういう場合、言った者勝ちになる傾向はあります。「声がでかい」ヤツが勝つのです)。

(日常語で使う「マナー」とは概念が異なりますが)マナーというのは広い視点を養う上でも重要な概念なのです。

とはいいつつ、関西では結構外者に対しては厳しい文化も残っています。それは外者があまりにも関西人の許容するマナーの範囲を超えている場合があるうえに、そういうときには「声のでかさ」で物事を解決しようとする文化があるためです。関西でうまく生き残るためにはルールの順守は必要ありませんが、マナーの許容範囲をある程度知っておいて、そこから大きくは逸脱しないことが重要です(多少の逸脱は全然OKです。大きな逸脱でも相手次第ではOKしてくれますが)。この辺の微妙な調整がなかなか難しいものなのでしょう。明文化されたルールは基準がはっきりしていますし、習得に時間がかからないので、短期間で人の入れ替わりが激しい地域ではルールの方が合理的かもしれません。

関西にやって来て、関西がすごく気に入る人と、まったく合わないという人がいると聞きます。おそらく、気にいる人というのは、ある程度周囲の状況に合わせて(ルールを捻じ曲げて)行動ができる人です。「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な精神で生活できれば、関西はなかなか楽しいところです。でも「正しさ」や「ルール」にこだわって周囲に合わせられないと、容赦なく冷たい視線が飛んでくるのも事実です。「ボケ、ツッコミ」の状況で「ボケ」に対して「それは間違いです」と真面目に返したら、失笑を買います。「ボケ」の内容が間違ってようが、トンデモであろうがとりあえず「ボケ」に合わせて適当な答えを返しておけば、少々予想外の答えでも取りあえず笑ってくれます。まぁニヤニヤ笑っているだけでも、失笑を買うことはないです。

私はどちらかというと(関西では)ルール重視タイプなのですが、関東の人々とは全くそりが合いませんね。自分の行動に対してはある程度ルール重視なのですが(もっとも、納得できないルールには従いません)、他人の行動に対しては関西的なマナー感覚で接していますので、このブログを見てもらっても分かるように他人のルール逸脱にはかなり寛容です(これは自分がやむなく逸脱する時の抜け道を残しておく意味もありますが)。ルールは守りたい人が守ればいい、という感じですかね。微妙な立ち位置です。