独裁者を望んでしまう社会状況

私は高校から世界史選択ではないうえ、世界史の教師が中高でまとめて1循限りしか世界史を講義しなかった(!)という不幸な運命のために、近世以降の世界史をきちっと習っていないのですが、ある種の教養として自分なりに世界史の流れをつかむ努力は常にしています。
で、最近の興味として図書館で借りてきたのがこれ。

ヒトラー 独裁への道―ワイマール共和国崩壊まで (朝日選書)

ヒトラー 独裁への道―ワイマール共和国崩壊まで (朝日選書)

第一次大戦からワイマール共和制にうつり、そこからナチス台頭への流れを描いたものですが、なかなか面白い記載がありました。

国民の意識の底流に、議会制度や民主主義制度は早晩、破産するだろう、政党によっては何も改善、改革できなだろうという雰囲気が忍び込み始めていたのである。(中略)根っからの民主主義者たちでさえ、政治家が現在のように無為に時を過ごしているのは許されない、との考えを抱くようになっていた。「だれもが無気力で無力感を抱いている。われわれの政治制度全体の無力さをだ」と中央党幹部一人でヴュルテンベルク州首相のオイゲン・ボルツは1930年3月11日の妻への手紙で書いている。「私は、現在の困難な内政問題が議会によっては解決できまいとの結論に達している。もし、10年限りの独裁者と言う存在がゆるされるなら、私はその登場を望む」。その2、3日後、自らの言葉に愕然としてこう書き足している。「独裁者だって?とんでもない、われわれを独裁者から守りたまえ」

よく知られたことではありますが、ヒトラーは表面上は民主主義的な議会選挙で正当に選ばれた独裁者です(全権委任法)。しかも初期のヒトラーはそれなりの成果を上げていた。本気には思っていないくても、ふと独裁者を待望してしまう社会は本当に破滅に向かわせる独裁者を生み出すことがあります。要注意ですね。