コントロールしすぎない教育が最も大事なんだろう

秋葉原事件の加藤被告の裁判ですが、読んでいてなんか虚しい気分になりましたね。

昨今の不景気社会で落ちこぼれることをおそれ、小学校低学年から子供に塾を行かせたり、なんでも子供を親の敷いたレールに載せようとする親が増えているみたいですが、子供は本来親が無理やりコントロールしてはいけないものです。

それは一見強力な力で子供をコントロールできたように見えても、心のどこかに禍根を残していたり、親への不満が親が必死になる背景にある社会への不満へ転化したり(これは正しい行動だろう)、最終的には人間不信に陥りやすいからなのです。実際、人間不信感を募らせている人々に付き合ってみると、親があまりに子供の行動を世間一般以上にコントロールしすぎたケースが大半です。親が子供に肯定的に接した家庭ではそういう子供は非常に少ない。友達にも家族にも肯定的な人間が多いですね。育て方次第で子供というのはこうも違うんだと痛感した記憶があります。

よくある批判に「結局でもそれは子供の捉え方や意志の問題ではないか」という意見がありますが、それは安全地帯にいる人間が対岸の火事にのたまう戯言というものです。親が経済的にも心理的にも絶対的存在である子供には、親の行動はもちろん、自分の心理も含めてどうすることもできないわけで、以前のコメントにもあったような自己責任論などは全く無意味、本来なら親や社会が変わっていかねばならないことだと思います。

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この記事を見て、多くの人は「そういうこともあっただろうが、そんなことばかりではないだろう」とコメントするでしょう。しかし、虐待じみた行為を伴うコントロールを何度も経験した子供はたとえ他の子と似たような経験をしていたとしても、幸せな場面はすぐ忘れ、そういう悪い被害的な場面だけを強く記憶するものです。彼のコンプレックスもそういう流れで形成されてきたのでしょうね。おそらく、脳の回路が自然とそういう風に働くのだろうと思います(その根拠は似たような環境になると人間そうなる傾向の人が多いから)。人間というのはそのようにプログラムされているものなのです。(物事を悪く捉えるという点では精神疾患でよくいわれる認知の歪みという病態なのかもしれません)

そして、それが父親ではなく本来子を守るべき、受け入れるべき存在である母親から受けた行為であるという事実。これは彼の心の成長を決定的に病的なものにしたとうことに疑いの余地はないと思います。父親が弱い存在で、母親が過干渉な日本や韓国ではよく起こりうることなのですけどもね。

正直、この裁判はずっとチェックしていますが、彼がこういう事件を起こすのは当然だろうし、私は不思議にも思いません。本来ならばそういう親の行為は社会が止めるべきなのですが、それを社会が怠ってきたのですから仕方ないですね。我々社会の自己責任ですね。でもある意味、日本的な事件だなと思います。これからもこういう事件はちょくちょくあると思います。