選挙結果から見る将来の日本の1パターン

私の期待通りに参議院で与党が過半数割れしましたね。ねじれの再来です。

前回のねじれもそうでしたが、ねじれ国会になると審議が停滞し、法案や政策の進行がことごとく滞る傾向にあります。多くの人はこのことをあまり良くないことだと考えますが、私はそうは思っていません。現代の日本が価値観が発散していくポストモダン社会の巨大な実験場であるという背景を踏まえれば、この停滞の連続はしかるべくして起きたものであり、ポストモダン社会を次のステップに進める重要な素因になることは間違いないからです。

すなわち、私の仮説はこうです。
人々の価値観が多様化して発散していくと、コミュニティや思想が島宇宙化し、多数の少数派が多数派を構成し、安定した政策推進や思想浸透が図れなくなります。このような状態が続くとさすがに価値観の多様化がよろしいと信じる人々も、不安定さに我慢ができなくなり、何か安定した拠り所になるものにすがりつこうとします。各人の価値観は多様であっても、すがりつき願望は共通ですから、ここでカリスマ的な指導者が現われると今までの差異など無視して、彼らについていこうとします(その前兆現象がコイズミであるような気もしますが)。一部の人間は熱狂的になり、場合によっては半独裁的な政治に移行することもあるでしょう。こうなると国民の中に一致団結しようという右派的な思想が強く芽生えることになります。右派化した国民は隣国とのトラブル時にことごとく実力行使による解決を求めるため、北朝鮮や中国など「不快な隣国」を抱える日本ではおそらくそれらとの交戦議論が出てくるでしょう。憲法という防波堤を乗り切るのは時間と運の問題とも言えます。前回の半ポストモダン的社会では実際に政治の不安定さが戦争につながっていきましたが、今回ももちろん戦争につながる可能性は否定できません。一方で戦争以外の何らかの別の形でポストモダン社会の停滞が打破されていく可能性も残されています。私にはその具体的内容は予測もつきませんが、当然ながらどちらかというと後者の可能性に期待しています。何か新しい世界が生まれそうな予感がするのです。とにもかくにも停滞の連続は、心理的にいずれ大きな革新をうみます。停滞は決して悪いことではないのです。