創価学会等に対する私の見解

先日のいのげ先生のコメントを受けていのげちゃんねるを拝見しました。予想よりもまったりしていて、これなら見ても大丈夫そうだと思いました。ある意味、モトケンブログとは少し違った本音トークもあって、医学生ならば両方を見るべきなのかもしれません。

さて、実は3日前の記事で、もしかしたら誤解を招きかねないかもということを書いたので、一応釈明をしておきます。
僕自身が最初、見たこともなかった「いのげちゃんねる」に食わず嫌い的不信感を持ったのはモトケンさんのブログに「私個人への批判(これは控えめな表現)」という記述があったためです。モトケンさんが創価大学出身で、いまも創価大学の教授をされていることはプロフィールから知っておりましたので、僕自身は「いのげちゃんねる」には「あの創価が切れやがった」的なことがずら〜っと並んでいるのかと考えておりました。実際にはそういうレスは僅かだったので安心したのですが、この表現を見ると
私が学会員ではないか
誤解される方もいらっしゃると思うので、一応釈明をしておきたいと考えた次第です。

はっきり申し上げて、私は創価学会員では決してありませんし、むしろ4年ぐらい前にホームページで創価学会の批判をかなりしてました。もっとも、影響力のあるページではなかったので誰からも仕返しとかは受けませんでしたが。

僕がいのげちゃんねるを恐れたのは、モトケンさんがおそらく学会の件には出来るだけ触れないように気を使って議論を進められていたところに、それをないがしろにするようなレスで埋め尽くされているのではないかと思ったからです。私自身は創価学会がやっていることを好ましい目で見ているわけではありませんが、学会全体の問題と個人の問題はある程度別だと考えています。学会員であり、かつあちこちに所構わず学会の宣伝をしている人ならば、そういう批判をされるのもやむをえないと思いますが、モトケンさんは決してそういう活動をされているわけではないですから、そういう批判はすべきではないと思います。

とはいいつつ、せっかくなので僕個人の創価学会に対する見解を包み隠さず述べさせていただきます。
僕自身が「創価学会」という言葉を知ったのは、中学2年の頃、JR住吉駅の通路を歩いているとなんかわめきながら歩いているおばちゃんがいるんですね。表現は悪いかもしれませんが、たまにいる狂人というやつです。そのおばちゃんが発していた言葉は「お前らが〜しても、創価学会が守ってくれるから★△■☆・・・」
僕は「創価学会?なんの学会やねん。しかも守るって意味不明」と純粋にそのときは思いました。なんせ学会といえば、通常は日本医学会とかそういうのですからね。で、暫くして「創価学会」が宗教であり、公明党の支持母体であるということを知って、納得がいったのですが、とかく創価学会のfirst impressionがアレですので、創価学会って狂人の集まりなんだと思っていました。ところがですね、またまた勉強して日本人の10%近くが学会員であることを知ったわけです。え〜、と思いましたよ。で、友人の親戚が学会員で選挙前になるとひつこいぐらい宣伝しに来てウザイ、というような話も聞いて、学会員がすべて狂人ではないということは分かりましたが、創価学会に対するイメージはますます悪化していきました。
僕は結構怖いもの知らずですから、そこから創価批判を始めたんですね。日本にはなんせ政教分離の原則がありますので、あれは憲法違反ではないかと思ったのです。時期を同じくして自自公が自公保連立政権に加わり、公明党の影響力が強まっていましたからね。普通に友人と創価批判(主に憲法違反の件ですが)を電車の中ですることもありましたし、僕が熱弁を振るっていたところ(確か公明党が「政教分離を宣言した」ということはその前は憲法違反をしていたことを公に認めたんじゃないかという論)、ふと隣にたっていたおっさんの手が震えているんですね。僕はこっそり気づいていて知らないふりをしてもっと煽ってやれ、とか思ったのですが、その友人に止められました。で、まぁ一旦飽きまして、その後は生暖かく公明党を見ていたわけですが、まあ何かといってこの系統の話題が増えるんですね。で、ホームページで単発的に創価批判を再開しました。そのときに同じく創価批判をしていたホームページをたくさん見つけてきて、創価学会の成立や池田大作の行動などについて勉強してきました。で、論調をこのように変えたのです。

創価学会が言っていることは間違いではないし、いいなぁと思うことも沢山ある。しかし、現実にやっていることはどうだ。人間主義を実現したいのならば、一人ひとりがそういう行動を取って広めていくべきであって、決して組織票をまとめて政権に参画することではなかろう。利権を求めて学会員で地位や職を融通しあうことではなかろう。仏教のとある宗派や雑誌を批判するようなことではなかろう。言っていることとやっていることが完全に乖離している!

この考えは今でも変わっていません。正直、創価学会の言っていることはとてもいいことだと思います(公明党の政策も自民や民主に比べればいいと思う。実際、私の祖母は非学会員の公明支持だし。ここまでいうと学会擁護にも聞こえそうですが)。しかし、選挙前の行動や利権的なものにはかなり嫌悪感を持っています。宗教ならば宗教らしくしろ、政治団体ならば政治団体らしくしろというのが僕の意見です。日本人の中には宗教に対して嫌悪感を持つヒトも多いと思いますが、私個人としては最終的には心のよりどころとして宗教は必要になってくるのではないかと考えています。この矛盾の多い社会ではね。もし、創価学会がその理念に忠実な宗教ならば、池田大作を神とあがめるような風潮がなければ、政治に参画しなければ、将来的に入ってもいいと思うものです。しかし、現実ではそうではない。

だから、僕は創価学会が好きではないのです。けれども、他もあまり興味のある宗教もないんですね。仏教の般若心経の精神は尊敬しますが、最近の坊さんは金の亡者です。キリスト教は僕のイメージと余りあわないしねぇ。第一、キリストを崇拝するというのがちょっといやです。個人的にイスラム教がとても合理的で興味があるのですが、日本でイスラム教だと弊害がめちゃくちゃ大きいので、手を出すには至っていません。ビールジョッキ一杯で頭が痛くなる雑魚なので、酒が禁止というのは宗教を理由に飲むのを拒否できるので有難いんですが。ということでいつまでも無宗教なのかも。