天下り問題について

今回の選挙で大きな争点になったのが、年金だとか閣僚の失言・政治資金問題だったわけですが、実はそれ以外にも次のような問題点がありました。

まぁどこかの党は憲法憲法と言っていますが、今回はまだその段階ではありません。

特に最後の公務員制度改革について。
私は何度もこのブログで同じようなことを発言しているのですが、「天下りは悪である」という考えは捨てるべきだと思います。官僚の組織上の問題としてバリバリ働く若い力を定常的に入れながら、そして、激しい出世争いから脱落して言った優秀な官僚たちを無駄にせずに社会に貢献させる意味として、私は「天下りは善である」という立場をとっています。

マスコミの偏向した報道や政治家の偏った主張により「天下り=癒着の温床で、悪の中枢」という考えが一般大衆にははびこっていますが、すべての天下り先で官僚たちが癒着に勤しんでいるかというと、決してそうではない。天下り先で官僚だった頃よりも忙しく企業や行政法人のために働いている人も結構多いのです。そして官僚であったということは法律解釈や制度に詳しいということです。これは企業や団体がコンプライアンスを遵守しながらスムーズに事業を進めていく上で、大きなメリットとなります。(「県庁の星」という映画はそれをよく表していましたね)公正な活動をしている企業の発展は経済を潤し、いずれ社会を、そして日本全体を潤します。このスピードをより速くする上で、天下り官僚たちのもたらす利益は大きいと思います。

もちろん、各所から指摘があるように現役の省庁幹部と癒着し、特定の企業に大きく有利となるような利益誘導が一部で行われているという事実は否めません。これは当然改革する必要があります。しかし、それがすぐに天下り全廃ということに結びつけるべきではないということは落ち着いて考えれば当然得られる結論です。悪いところがあるならその制度を全廃するという考え方では、国家が成り立ちません。国がやっていることに悪いことがあるのなら、国を自ら滅ぼすのでしょうか?医療に悪いところがあるのなら、医療制度そのものを滅ぼすのでしょうか?裁判制度に問題があるから、裁判を全廃にするのでしょうか?そういう考えは完全なる詭弁であると私は思います。

天下り制度には日本全体にとって利益になる面と損失になる面が存在します。すべての官僚がマスコミが言うような癒着体質なら当然天下りは廃止されても仕方がありません。しかし、実際はそうかというとそうでもないと私は思っています。マスコミや政治家は制度全体の中にある僅かな悪い面をあたかも全体が悪いかのような言い方をすることが多々あります。多くの国民は繰り返しこのようなインプリンティングを受けることによって、本当は僅かにしか存在しない悪の面を全体の代表だと勘違いしています。多くの官僚は天下りをしても真面目に働いています。一概には言えませんが、優秀な官僚ほど天下りが少ない中で高い倫理観を持ってよく働いているという印象を持っています。問題は優秀とはいえない官僚たち、すなわちII種以下の官僚が大勢を占めている下流の省庁です。これらの省庁では利権確保のために多くの天下り先を確保し、恒常的な癒着が続いているという感じがしています。たとえば、社会保険庁。先日の記事でも紹介しましたが、厚労省よりもレベルの低い官僚が多いにもかかわらず、裏金や天下り先は厚労省よりもはるかに多いという雑誌の記事がありました。それから防衛施設庁防衛庁の下請けのような省庁ですが、多くの裏金や私的流用がありました。もちろん、キャリア官僚にも汚職がありますが、組織的なもの・大規模に行われているものというのは少ない印象を受けます。

自民党が掲げる公務員制度改革案である「人材バンク制度」というのはそれなりに妥当であると私は思っています。この制度では、省庁が斡旋するのではなく行政法人が斡旋し、自分がいた部署と関係がない相手先に天下るようにするため、真面目に働くつもりのない官僚はある程度駆逐されていく運命にあるからです。優秀で真面目な官僚には高給を与え、やる気のない官僚には天下り先すら与えない・・・理想だと思いませんか?国家のために夜遅くまで一生懸命働いてきた官僚を報いようとせず、自分たちの賃金が安すぎる、税金が高いということだけを叫ぶような身勝手な国民では、日本が世界に渡り歩ける立派な国家を維持できるとは到底思えません。私は国民が一生懸命頑張る官僚を報い、そして、企業が一生懸命働く国民の給料を上げるということは、決して別々に分けて考えることが出来ないことだと思います。結局はどちらも根底にあるのは「頑張る人を報いる」という同じ考え方なのだから。