医療崩壊と地方崩壊

最初は上の株安の話の続きで書いていたのですが、長くなったので別に分けます。でも話し自体は上からつながっています。

ある意味、現在では局所的に数多く発生している医師不足が、全体像としてどの程度のものなのかが分からないゆえに医療者の間で医療崩壊が大問題化しているのと似た側面はあると思います。パニック状態は余計に医療崩壊を加速しかねませんので、とりあえず厚労省大臣官房統計調査部の皆さんには前倒しして早めに医師調査のデータを発表してもらうことを期待しています。

もっとも、局長が何を言おうとも(そもそも、国会答弁ならともかく講演で言ったことなんて政策には強くは影響しない。マスコミというフィルターを通してその情報も出てきているのだし。だいたい、新聞記事で何が出ても内部では「違うこと書くな」と皆、文句を言ってるぐらいですからね。基本的に新聞記事は多少誇張されて書いていると思っておいた方がいい)医師不足問題を取り扱っている部署では偏在論が誰を問わず強固に支持されていることからすると、特に今のところは「全体として不足」というデータはあまり出てきていない可能性はあるのですが。もっとも世論上の問題もあって「偏在論だけでは外部に向けて説明をつけられなくなっている」という意識はあるみたいですが、それでもやっぱり不足論には消極的です。私も医師増員による「ワーキングプアー化への懸念」に同意しているのでこうやって毎回、大反発を受けながらも懲りずに書いているのですが。多くのネット医師の考え方に私も医学生として、一市民として同意しますが、単純な医師増やせ論には私は同意しません。東京に行ってその考えはより強くなりました。

もっとも医学部定員を増やしたところでその効果が出るのは最低でも6年後。わずか2年程度で心理面での医療崩壊(実体面では前述のように全体像があまり見えていない。耳にするのは個別の悲鳴だけ)が相当進んできてしまっている今、私はイマイチ「医師増やせ」という主張をする意義がよく分からないのですが。しかも5人や10人の増加ならば、ある程度大学も対応できますが、それ以上になると大学が人的・施設的・予算的に受け入れられるのかという問題も出てきます。医学部の定員は多いときで120人でしたから、教室・実習室なども120人対応で設計されているところが多い。1990年以降に新築などを行った大学では100人対応で作っているところがあるかもしれません。そうでなくても国立大学は独立行政法人化で経営改革に必死になっていますし、人的な削減や科研費の獲得のために教育を軽視しているような状況です。果たして20人、30人、誰かが言うようにイギリスと同じく50人増をして大学が受け入れられるかということを考えたらまず無理でしょう。受け入れるための設備投資だけでも膨大な額になります。授業料も医学部生の場合は一人何千万というのは誇張しすぎにせよ、大学にとって赤字なのは間違いないですし。文科省からちゃんと予算をつけないと大学は増員を拒否するでしょう。でも予算つけたら、経済財政諮問会議あたりから「改革の逆戻りだ!」ってなるんでしょうしね。すでに地域枠で定員を250人増やす方針を政府与党が出しています。奨学金、授業料免除等で年間一人400万ぐらい出るんでしょう?学生に渡す分だけで年間10億円必要ですね。学校側に渡す金を含めたらどれだけの金額になるのでしょう。

さらに、仮に全大学が普通枠で10人定員を増加させたとしましょう。「1.1倍に増やしました。随分予算をつけて対策しましたね」で、どうなるかというと、全国に医学部が80校前後あって10人なので6年後には年間800人増えますよ。でも、もともと医師は年間3500人純増していますから、+3500人が+4300人になるだけです。今の風潮だと800人のうち100人〜200人ぐらいは美容形成に行っちゃいますが、いいんですかと。残りの700人のうち4、500人は都会に行く可能性が大ですが、それでもいいんですかと。考えれば考えるほど医学部定員の増加ということが、ここ2年程度で急速に進行している医療崩壊の対策に役立つのか疑問がわいてきます。

私はそんなことよりとりあえず、小手先の対策(短期的な対応)を強化する方が重要だと思うんですがね。もし、本当に医療崩壊を防ぐのならばね。医療崩壊にうまく医療が回るようにという意味であれば、医学部定員増加もある程度は賛成しますけどね。

今回の参院選でかなり日医も弱体化していますし、厚労省はもっと過激にやってよいと思います。研修の質が損なわれない程度に研修医の定員を制御するのもいいし、診療報酬改定で開業のうまみをほぼなくしてしまってもいいでしょう。同時に休耕田のようにある程度の補償金を出して開業医を再び勤務医に戻らせることをすればいい。開業ラッシュで患者が来ずに借金で自殺寸前まで追い込まれている開業医もいるそうですから、その借金を一定額補償する代わりに僻地の勤務医として働いてもらう方がいい。それが予算的に無理なら、暇そうにしている都会の開業医に当直を分担させればいい。

科にもよりますが都会には暇そうにしている40代ぐらいの開業医が結構います。実際のところ、とある医院でコメディカルの方に僕が「医者は大変な職業ですからね」と言うと「(壁の向こうに院長がいるので)大きな声では言えないけど開業医は結構楽そうだよ。君も将来開業したら?」と教えてくれました。実際のところ、そんなものだと思います。あえて今まであまり書いてきませんでしたが。特にここ数年の開業ブームで、かなりそういうところが増えています。予約制でないところなら今まではどこに行っても20〜30分は待たされたものでした。しかし、いつ行ってもすぐに診てもらえるところも増えています。ここ5年ぐらいで随分かわりましたね。それは都会人としては便利で歓迎すべきことですが、それで地方が極端に困っているというのであれば多少はその便利さを手放すのも我慢せざるを得ないでしょう。結局のところ、開業や科の選択をほぼ完全フリーにしている以上、たとえ医学部定員を増やしたところでその効果はあまり大きいモノではないと思います。楽なところへ、儲かるところへ、自由診療へ皆、流れるだけです。それよりは、そういうものをある程度ゆるく縛る方が効果的ですし、そうしなければますます激務の科や勤務医が疲弊していくだけになるでしょう。

また、医師を増やすということが果たして費用対効果の面で効果的かということも考えねばなりません。医師は出来る範囲が多いがゆえに教育にも莫大な時間とコストがかかります。その割に一部病院などでは普通の点滴、患者の搬送までさせられています。その分を看護師に回すことができないか、そして看護師が誰でも出来るようなベッド交換などをしている分を医療補助者に回すことができないか、という考え方があってもいいはずです。私はマクロ的には医師よりもむしろ医療補助者を増やす方策を取っていただきたいと思っています。もっとも表参道ヒルズの真正面にある日本看護協会は猛反発かもしれませんが。

地方医師の悲鳴はよく分かるのですが、「自分のところは足りていないから自分のところを増やせ論」がいつの間にか「全体が足りていないから全体を増やせ論」にすりかわっているのは、世論として暴走を生みかねない危険な傾向だと思いますがねぇ。ちゃんと区別して考えないと。そりゃ分かってるんですよ、地方や科によって足りていないところがあるのは私も厚労省も。それは誰もが認めるところです。その上で、全体として不足が生じているのか、OECDでは全体としての不足論を論拠付けるデータとして信頼できないから、声を荒げる前にもっと慎重に検討しよう、見極めようと言っているだけなんですが・・・。
OECDデータが決定的なデータとして信頼できないのは、個人によって体質の差があるように、国によって人口事情や医療事情が異なるからです。国際比較というのはその点ではあまりあてにはならない。だから入院日数や治療費を国際比較して下げろといっている厚労省に医療側が反発しているのでしょう?僕もこれは反対です)

案外、コメントを下さらないROMのかたでも「医師増やせ論」には疑問を抱いている方もいらっしゃるのかもしれません。だとすれば有難い話なのですが。

とかく、まとめです。皆さんから色々コメントを頂いたのは本当に有難いのですが、結局僕の疑問はあまり解消しませんでした。ということで僕は医療崩壊を防ぐための「医師増やせ論」には同意できません。その理由は

  • 医師が全体として不足しているというには論拠が乏しい
  • 医師の偏在解消がまずは最重要課題で、これが解決されないと医学部定員増加をしても大きな効果は期待できない
  • 医療費抑制政策が規定路線となっている現状では、医師の増加には一人当たりの収入減、それによるワーキングプアー化や、給料が減少することによるさらなる意欲喪失の副作用が懸念される。安易に処方すべきではない。
  • 現実的に大幅な医学部定員増加が可能か不透明である
  • 医学部の定員増は長期的には医師の負担を軽減する可能性が高いが、医療崩壊が目前に迫っている(と言われている今)短期的対策としては無意味

あと、医療崩壊はある程度のところで停まる可能性も指摘されています。開業に流れるといっても、もはや都会に開業適地はほとんどありません。採算が取れなければ開業を控える人も多いでしょう。また、地方の医療が貧弱になるとますます地方から都会へ人が移り住むことになります。つい先日、三大都市圏(東京・神奈川・千葉・埼玉・岐阜・愛知・三重・大阪・兵庫・京都・奈良)の人口が6350万人弱、人口集中率が50%を越えたことが報道されました。また、人口上位9都府県である東京・神奈川・大阪・愛知・埼玉・千葉・北海道・兵庫・福岡で全人口の52%が住んでいます。別ソースによると2000年の統計だそうですが、日本人の44%(5600万人)は東京・名古屋・大阪の都庁・各市役所から50km以内に住んでいます。ちなみにドクターヘリの運用が可能なのは病院から50km以内だそうですが、それはどうでもいいとして。
参考資料:住民基本台帳に基づく人口・人口動態及び世帯数(平成19年3月31日現在)

三大都市圏の中でも私の住む大阪圏は人口が減少気味です。東京に人が集中しています。今後もある程度はその傾向は続くでしょう。地方から都会へ、都会から首都圏へ。地方での医療崩壊はその動きを加速させるだけなのかもしれません。私が東京に行ったもう一つの理由、それはいつか大阪の人口が減少し活気がなくなってきたときに、東京に移住できるかというのを実体験するためでした。そういうことをすでに考えている人も結構多い。そんな中で地方の危機が実際程度、どこまで医療全体の崩壊につながるかは未知数です。同じ都道府県でも都市と郡部での医師の偏在は広がっています。厚生労働省の基本的統計は10万人あたりの医師数ですが、ということは人々が郡部から都市へ人が移動していることとあわせて考えると、医師の実数の動態は10万人あたりの偏在以上にそれより大きくなります。市町村長の意地にかけて病院という箱物はそう簡単にはなくなりませんから、おそらく、地方が医師不足感が強いのはその相乗された医師流出の動きにあるのではないでしょうか。たとえば、人口が30%減少し、10万人あたりの医師数が20%減少した地域では、実際の医師数は0.7×0.8=0.56と半分近くになってしまいます。実際にはこのような地区には病気になりがちな高齢者が多く、流出するのは健康な若者なので、仕事量はさほど変わりません。地方の医師の負担が増えるのは数字の上でも見て取れます。厚生労働省は医療資源の集約化を掲げますが、そういう地方の中だけで集約化を図っても、アクセスの悪化で多少患者が減るかもしれませんが、医師一人あたりのの仕事量はあまり変わりません。集約化しても崩壊するという現象は理論上でも起こりえます。ここは厚労省は考えを改めないといけない部分です。

もっとも、私は果たして地方が生き残るべきか、都市にすべてを集中すべきかということについて明確にこうすべきだという意見を持っていません。集中するにせよ分散するにせよメリット、デメリットはありますし、どちらに進むかは国民の多数決でもって決めることです。場合によっては地方が悲鳴をあげながら崩壊していく様子を黙認していくこともあり得ると思います。ただ、都市にいて感じるのは、基本的に都市は地方をどうでもいいと思っているということです。都市住民は社会的なつながりが薄く、社会学的に見ても他人の問題にあまり関心を持ちません。特に現代人はそうで、それをよく表している言葉に「友達以外はみな風景」というものがあります。地方が困っていても手を差し伸べないのは、地方を都市のパートナーではなく風景としてしか、地図の上での点としてしか見ていないからです。「地方の衰退?地方の医療崩壊?そんなの俺たちの問題じゃない」、多くの都市住民は本音レベルではそう思っていることでしょう(普段は地方の人相手にそんなことは口には出しませんけどね。地方の人を傷つける可能性があるのは申し訳ないですが、彼らに自分たちを取り巻く状況を正確に認識してもらうためにもこの点は指摘しておきたいと思います)。

実際のところ、強力に意見を発信しているネット医師の方のプロフィールを見ると多くが地方県の方です。都会人はあまり多くない印象を受けます。そもそも医療崩壊を知っていても興味を持てない人も多い。そりゃそうですよね、都会では開業適地がほとんどないほど医師が余っているのですから。こういうとかなり語弊がありますが、実際のところ開業適地として残っているのは大抵部落地区だとか、民度が著しく低い地区です。都会の医師(大学病院は別)たちの感心の殆んどは医師不足よりも医療裁判にあります。私の親もそうです。自分たちが巻き込まれる可能性が高いですからね。したがって、都会では医師不足ではなく防衛医療による医療の質の低下、難しい症例のたらいまわし、ハイリスクな産科・小児救急の崩壊、なんかが、医療崩壊上では大きな問題になることでしょう。地方では病院が地域医療の主体になっているという面はありますが、そういうものに加えて医師そのものが全体的に不足しているはずです。

やはり、地方と都会では医療崩壊の質が違うのではないかと感じます。そこを一緒にしてきたことが、地方と都会の人間で表面的には理解しあえても、細部でうまく議論がかみ合わない、興味がかみ合わない原因なのかもしれません。ただ、両者が「医療崩壊」という言葉だけでかろうじてつながっている・・・そんな気がしてなりません。


医療崩壊なんてどこかで止まるのは分かってるんだから、崩壊しても仕事はあるんだから、さっさと勉強しろと親に諭されている医学生から、「医療崩壊学」の考察でした。

さて、買って来たギリシャ神話の文庫本でも読みますか。