神戸決戦?

m3comから面白い記事が・・・

神戸の2次救急体制/医師の疲弊で弱体化の恐れ 近隣自治体からの流入 DPC病院拡大なども背景 DPC病院拡大による機能低下を懸念

記事本文は転載できないのですが、いよいよ懸念されていた集約化のドミノ倒しが始まるようです。最近は三次救急もやっている中央市民が全体的に機能低下に陥っていたりすることもあって、結構つぶれるのは早いかなぁなんて思ってます。幸い、くすのき大学の災害・救急は「北米型ER」を目指す方向のようなので、5年後ぐらいにはドアで仕切られた大きな待合室でトリアージを待つ多くの軽症患者、多くの人の目の前で重患がストレッチャーに載せられて運ばれていく様子、たまに患者が待ち時間にきれて屈強な警備員に取り押さえられる様子なんかが見ることができるかもしれません。まさに「ER」の世界です。
日本の医療もあのドラマのようにちゃんと医師と看護師と医療補助職が役割を分担すればいいと思います。アメリカは基本的に分業社会ですからね。医師の集約化よりもこれは大事なことだと思います。その点ではいい取り組みになるかもしれませんね。看護師が働かないので有名な病院が日本一看護師がいろいろなことをやる病院に生まれ変わるかもしれません。

さて、どうでもいい話ですが、ここ数日、新小児科医のつぶやきでの774氏先生のコメントがさえています。僕が新小児科医のつぶやきを毎日見るきっかけにもなった尊敬している先生なのですが、かなり厚労行政などの本質を捉えられているように思います。官僚はコントロール欲が強い(だいたいマネジメントがしたくて官僚になっているわけですから)ので、実体がイマイチつかめなくて制御ができない閉鎖システムを嫌います。自分たちもある程度、閉鎖的なんですけどね。医局なんてその典型で、厚労省は病院をつぶしたいとは思っていないのですが、医局をつぶすことを長年夢見ていたわけです。で、それをやったら医療が崩壊したと。まぁ、なんというか実体がつかめなかったゆえに医局のメリット、医局が担ってきた目に見えぬものを見落としたという感じなのでしょうが、ディスクロージャーなんかが盛んに言われている時代ですから、いつかは医局の解体というのはやらなければならなくて、結局こういう運命だったのではという気がします。医療崩壊必然説っていうのはどうでしょうか。

774先生の話からは離れますが、僕は他の先生方とは違って実は崩壊を防ぎたいとは強く思ってません。「崩壊はやむなし」派です。ただ、自然な崩壊を望んでいます。医療側から崩壊を加速させるようなことをすれば後で国民から恨まれかねませんからね。「医師も官僚もみんなある程度努力はしたのだけれども、自然な成り行きで崩壊してしまいました」といえる方がいい。それで国民が納得するかどうかは分かりませんが、特に原因が見つからないとなると批判する相手もいないし、もやもや感が残るだけでしょう。そこで、コンビニ救急の問題だとか、医療バッシングという国民側の原因を言えば納得も出来る。

そもそも「医療崩壊」を起こしてまず予想されることは基本的に

  • 地方でまともな治療が受けられなくなるという医療の著しい地域格差
  • 都会でも重症の場合に助からなくなる可能性が高くなるという、症状による治療格差
  • 全体的なアクセスの悪化

であって、医療自体が「崩壊する」わけではないのです。昔は便利だったけど、随分と不便になったなぁという感じになるんじゃないでしょうかね。正確に言うなら「医療崩壊」で起こることは「日本型医療システムの崩壊」であって、「医療そのものの崩壊」ではないと思うわけです。システムとして完全ではないけれども、大半の部分は部品として残っていると。だから焼け野原後にどうやってもう一度その部品を組みなおすかが議論されるわけなんですが・・・。やはり、「医療崩壊」という言葉はもう少し正確に扱った方がいいのではないかと思います。