自分自身の役割

最近、自分自身の役割というのを考えることが多いのですが、どうでしょうね。今までの僕の行動を踏まえると、今まで非常に「多様性」「奇抜なもの」を重視してきたような気がします。それはこのような哲学に基づいているからです。
「9:1の哲学」
これはどういうことかというと、社会の歴史というものを振り返ったときに、大抵の期間では9人の普通の人間がコツコツ仕事をすることで、社会というのはよりよい方向へ動いていくわけです。しかし、その努力の効果というのは時間が経つにつれて逓減します。最後には努力はするけれども越えられない壁にぶち当たってほとんど成果が出てこないということになります。ところが社会というのはうまく出来ていて、こういう時に変わった発想を持った1人の人間が出てきて、1人で9人が困っていた問題を打破し、大きく社会を進めることになるのです。この1人は普段は役に立たないことも多い。異端として冷遇されることもあるでしょう。けれどもこの1人は社会の発展のためにはなくてはならない1人なのです。「普段は9が10の仕事をし、それがうまく行かなくなったとき1が10の仕事を成し遂げる」・・・これが僕が考えている「9:1の哲学」です。

僕自身はこの1人になれるだけの才能と勇気があるかどうかというと自信はありません。ただ、少なくともそういう人を発見して擁護したい、いいタイミングでその人がうまく能力が発揮できるように環境を整えたいという思いを強く持っています。これは日本の「出る杭は打たれる」文化に強い危機感を抱いているからです。「出る杭は打たれる」文化では9:1を10:0にしようとする圧力が強く働きます。たとえば医師ならば「医師は〜あるべき」という観念論を社会全体が押し付けて、異端的な行動を取る医師を強く糾弾するわけです。しかしですよ、社会の歴史や自分自身の組織運営の経験というのを振り返ってみるとブレークスルーというのはやはり、9:1の1によって行われているわけです。9の人間にとっては1の人間は邪魔者かもしれませんが、この1をなくすということは社会のポテンシャルを大きく下げることにつながるのです。僕自身も1たる人によって助けられたことが何度もありました。だから、私は体を張ってでも批判を受けてでもこの1を守りたい、この1が活躍できる場所を見つけてあげたいと思うのです。それが社会に貢献するという点で、僕の人生を通して行うべき仕事だと個人的には思っています。

今までもそういう姿勢は大事にしてきたし、これからも大事にしたいと思っています。どれだけ批判を受けようとも。多様性はそれ自体が大きな価値なのです。