考える本

以前から、脳外科見習い先生からご紹介くださった本です。ありがとうございます。
1週間ほど前に読み終えたのですが、紹介し忘れていました。

持続可能な福祉社会―「もうひとつの日本」の構想 (ちくま新書)

持続可能な福祉社会―「もうひとつの日本」の構想 (ちくま新書)

感想:老令世代が若い人間の仕事を奪っているという点や定常型社会の定義の仕方には少し疑問を感じるものの、社会学的な視点を多様におりまぜた本。
特にかつては終身雇用・年功序列のカイシャが社会保障を担っていたが、それが崩れ始めたことで国の社会保障について新たな課題が次々浮かび上がってきたという指摘はなるほどと思いました。

あと、コメントを頂いたhirakata先生の本も今読んでいるところなのですが、紹介させていただきます。
[rakuten:book:11544474:detail]
「がん」について専門的な知見から死生観まで幅広く取り扱っています。医学生も読んで勉強になる一冊。

実は僕は大学に入って1年足らずで2人の祖父の死に直面しました。片方の祖父は心疾患であっという間だったのですが、もう片方の祖父はがんでした。なんというか、がんは本人にとっても大変なのですが、家族にとっても非常に大変だということを思い知らされた気がしました。外科的切除に加えて通院で化学療法もしたのですが、非常に体がしんどいらしく、在宅で介護する祖母にあたりちらかすし、薬も飲まないし、通院も拒否するしで、結局give up。最後は東京の伯母も呼んで無理やり入院させて、最後の緩和ケアということで、がんが発覚してから10ヶ月で我々に看取られながら病院で亡くなりました。その間、祖母が介護等で大変だということで私も2週間に一回は車で祖母の家に行って、買出しやら家事やらを手伝っていました。体力的と言うよりかは精神的に参ってしまうのですよね。介護サービスも使ったらどうかと提案したのですが、やはり昔の人というのは他人が家に入ることを嫌がる人が多い。結局、祖父が絶対拒否で祖母や家族が介護をすることになったのですが、本当に大変でした。
祖父とは病気の間に随分と話したので、今となってはあまり悔いはないのですが、一つ残念だったのは、やはり最後の方は病状も不安定なこともあり、ほとんど外の景色を見せてあげられなかったことでしょうか。車で15分だけ外に出て大好きだという近くの川の景色を見せてあげたかったのですが、病院からは許可が下りませんでした。あまり口には出しませんでしたが、普段の言動から推察するに、祖父からしてみたら命が多少縮まっても、親しんだ景色を見たかったのは間違いないとは思うのですがね・・・。
まぁとかく、近々死ぬことが分かっているような場合というのは、命を保つというよりは本人の希望をできるだけかなえるというところに力点を置くべきではないかというのは強く感じました。やはり、少子高齢化でどんどん死ぬ人が多くなる中で、医療もこれからは救命ではなくQOLとか「死にがい」による評価を中心にしていくべきだと思うわけです。

まぁ個人的な話ですが、こういう経験もあって僕自身はどちらかというと生よりも死に魅力を感じます。人間、生まれて徐々に成長していきますが、PPKではなく徐々に弱って死ぬときというのは、この成長過程と全く逆の経過をたどることが多いような気がします。少なくとも私が見た祖父はそういう姿でした。徐々に体力が弱り、判断力も低下して幼稚化していくのです。死には成長と同じだけの人間としての魅力というものがあります。不本意な若年者の死は別として、高齢者の死は悲しいが決して暗いものではないと思うのですね。

これから20年ほどの医療というものは、救命の医療よりも死の医療に軸足が移ることは間違いありません。巨費を投じて最新のクスリをどんどん開発して使うのもいいですが、「死にがい」のある死を迎えるためにも、高齢者にはやはりメンタル面でのサポートに人と費用をかけるべきではないかと思います。その方が最終的には医療費も抑えられると思うのですがね・・・。

「病気を治す」ということに絶対的な価値観を置いている医療者側の意識の変化というものも求められているように思います。少なくとも患者家族の経験を持つ立場として。