Conservative

親父に「mhlw行ってから、完全にconservativeになったなぁ」といわれました。

まぁ、その通りなんですけどね。いくつか原因はあると思います。

  • あれだけバカとかクソとか批判されていた役人だけれども、実際に見てみると、まじめに一生懸命働いているということがわかった(一部のネット上の批判がかなりウソ臭いと感じた)
  • 医療が社会システム全体の中で置かれている立場というのがよく分かったし、医療制度を変えていくには現実問題として、並大抵の努力では乗り越えられないような高い壁が数多くあることが分かった
  • 各審議会や検討会でも各委員は、ちゃんとそれぞれの業界を背負っているな、ということがよく伝わってきた。(したがって、その結果というものは基本的に業界同士のパワーバランスを反映したものである)

以上のことから、少なくとも私の理解として
「ネット上の一部の意見は、理想像としては優秀かもしれないが、現在の社会の仕組みからは考えられないようなことを提言しており、その実現には医療だけではなく社会全体の考え方が大きく変わるような変革が必要である」
ということを強く感じたわけです。

それゆえに、これはmhlwだけで解決できるような問題ではないし、現在の問題の責任をmhlwになすりつけるのは間違いである。やはり、社会全体を構成している国民の責任というものも大きいのだ、と8月以降主張してきたわけです。この考え自体は今も変わっていません。

また、同時にこの問題は医療だけの問題として片付けることは不可能だということも感じていますので、医療業界だけがよければいいというような考え方には私は反対です。それは高校、大学を出たとたん少子高齢化や財政危機、アジア諸国の台頭という日本の運命を大きく左右するような難題に直面し、日本そのものの将来に限りない不安を感じている我々の世代としては当然のことです。

医療とて、現行制度では国民と企業、そして国家からのお金で動いている以上、国家や国家経済が衰退すればその命運をともにせざるを得ません。経済発展の鈍化などにより、すでに相当数の国民が医療技術の進歩などによって上がり続ける医療費(具体的には健康保険料)を支払うことが出来なくなっているような今日においては、やはり一人当たりの医療費を何らかの形で抑制していくことは必要ですし、それによる質の低下を必ずしもタブー視するべきではないと思います。

本当に重要なことは全国民が見捨てられることなく、最低限の医療を受けられること。命をどこまでも追求すれば、いくらお金があっても足りません。一人ひとりの国民が、一人の人生というスキームの中で自分は命にどこまで妥協するか、そういうことを選択をする権利はあって然るべきだと思いますし、その土壌は少しずつですが、出来上がってきていると私は感じています。

もっとも、現在の医療がそういう方向で進んでいるとは言いがたいのは事実です。地方では最低限の医療すら奪われかねない状況が発生していますし、一方で都会では患者が望まぬような過剰な医療が提供されている場合もないとはいえない状況です。それは是正の必要があるとは感じますが、これは地方の経済や存続のあり方とも深く関係しており、簡単に医療側の論理だけで解決できる問題ではありません。

結局、いろいろ考えをめぐらして私が一番強く感じたのは、医療崩壊の問題は医療だけでは解決することができない複雑な問題である、ということでした。当たり前のことではあるんですけれどもね。その難しさをmhlwで肌で感じたがゆえに、ある程度conservativeにならざるをえないのです。トンデモ裁判に対して「言うは易し、行うは難し」といいたくなるのと同様、医療行政についても「言うは易し、行うは難し」なのです。

踊る大捜査線では「事件は会議室でおきているんじゃない、現場でおきているんだ」というセリフがありましたが、私は「現場同様、会議室も一つの生々しい現場なのだ」と付け加えておきたいぐらいです。それくらい、審議会や検討会というのは生々しいものです。

もちろん、私自身、制度の変革は必要だと思っていますし、そうしないとおそらく日本の医療は技術伝承が途絶えて一部で再起不能な状態に陥ってしまう可能性は高いと思います。ただ、かといって医療側の論理を鵜呑みにすれば、それはそれで後で別の恐ろしい結果を招くことにもなりかねません。また、これは、もうお決まりですが、何かを行った後には必ず揺り戻しが来ます。その揺り戻しが医療に本当の致命傷を与える可能性だって否定はできないのです。

本当に考えれば考えるほど、この問題が難しいということを感じます。小松先生が日経メディカルで過激なことをおっしゃっているようですが、あの考え方は検討会ではあちこちから総スカンものだったそうです。

医師や医療従事者だけで固まって、医療崩壊の議論をして発信することに意味があるのだろうか・・・最近、そういう疑問を強く感じています。色々な立場や考えの人を等しく交えて、はじめて制度の議論は現実味を帯び、またbrush upされるものだと思うのですが・・・・。いまの医療界の議論というのが、mhlwの政策が医療現場の現実からは離れていると評されるの同様、一般市民の考え方や医療を取り巻く現実からはどんどん離れていっているような気がしてなりません。