宮内氏の講演の感想

やっぱり偏見かなぁという気がしました。
言っている内容は、ちょっと毒舌・単刀直入気味だけれども決して間違ってはない。世界各国がグローバリゼーションを必死で生き抜こうとしている否定しようがない現実の中で、日本もそれをしなければいつの間にか貧しい国になってしまうぞ、というのがよく伝わってきました。ちょうど今「フラット化する世界」を読んでいる私としては、「嫌かもしれないけれども、それをしないと生き残ってはいけない」ということが分かっているがゆえに、規制改革や競争の導入を力説されているのだと感じました。

その点、特に反発が強い医師を含め、多くの国民は、決して彼のことを正しく評価していないのではないかと私は思います。

印象的だったのは「彼はただの市場原理主義者ではない」と感じさせる発言でした。教育研究の中でも短期の競争にはそぐわない基礎的な研究などには税金を投入すべきとおっしゃっていましたね。世間の偏見をもとに宮内氏の講演を聞きに行った私ですが、はっきりと彼の口から「市場原理にそぐわない部分がある」という言葉を聞けるとは思ってもみませんでした。

また、逆に格差や地方だといっている議論に対しては、まさに痛烈とも言える指摘(いずれも要約)をされていました。
「パイが大きくしてから分配の議論をすべきなのに、今の日本はパイを大きくすることは考えず、分配の議論ばかりをしている」
「人間というのは心が狭いもので、私なんかは関西出身なので、東京で『関西が地盤沈下』なんてことを言われると内心、怒ってしまうんですね。同様に(アメリカのGDPが成長を続けるのに対し、日本のGDPが今後横ばいになるというゴールドマンサックスの予測データを示し、)私はなんで日本が世界の成長から取り残されるんだと、いつもこのグラフを見て怒っているんです。日本もローカリズムという壁を乗り越えればなんでもできるんだと。でも、残念ながら今の日本は伝統が失われるといって、グローバリゼーションを拒絶する方向に向かっているような気がしてならない。もちろん、伝統は大事だし、日本人としてそれは当然学ぶべきだけれども、それをグローバリゼーションの拒絶に持っていってはならない。もし、そういう方向に向かいつづけるのであれば、日本は静かに沈没するだけです。」

「フラット化する世界」にも書いてあったのですが、グローバル化する世界では常に走り続けぬものは結局は落ちぶれて賃金が下がっていくだけということが言えると思います。もしかすると日本にもその傾向は現れ始めているのかもしれません。最近、賃金が上がらず原油の値段ばかりが上がって市民生活は苦しくなっています。マスコミや多くの人は、従業員に富をまわさず配当ばかりを大きくしている、とんでもないやつらだという議論をしているようです。しかし、私はこれは単に配当が大きすぎるというだけの問題ではないと感じています。配当の裏には株式や株価があり、そしてそこにはグローバルな株式市場と世界中の企業や投資家という背景があるのですから(私の言わんとすることは聡明な読者の皆さんなら悟ることが出来ると思います。現に日本の株価は長期的には低迷しています)。世界はここ10年ほどだけでも相当フラットになりましたからね。

兵庫県の大学の学長と宮内氏との「国際社会に通用する人材育成」に関するシンポジウムも面白くて、最後は「グローバリゼーションで生き残るにはもっと勉強をしないといけない。日本の学生、特に大学生は勉強をしていない。勉強への動機付けをするのが我々教育者の役目だ」という結論に達していました。ただ、会場にいた医学部の先生に言わせると「勉強への動機付けをするのは学生の役目だ。君たちが何とかしないといけない。」そうです。確かに、私もそう思う節もありますし、その指摘は真摯に受け止めたいと思います。ただ、学生の立場から言わせると「カリキュラム改革で授業時間を減らしている割には、その分をフォローし、サポートする体制がない。さらには、やる気のある生徒ですらやる気をなくしてしまうような明らかにひどい教官が教壇に立つこともある。そういう状況では学生が勉強しなくなったり、変な方向へ走ってしまうのも当然ではないか」と思うわけです。まぁ、その辺はいくら論議しても答えはなかなかでないと思うので、ここではこれ以上触れませんが、最後の学長のしめくくりの言葉が非常に気が効いていたので紹介しておきます。

「おたがいけなし合っていても仕方がない。大学はより努力して学生を勉強させるようにしむけるべきだし、企業は学生が3年の終わりや修士1年の終わりになると、就活で勉強が出来なくなるようなことをしてはならない。企業が求める人材を育成するためにも、大学4年間できちっと勉強させるということが一番重要だ」