教育に関する記事

とても面白いですね。
時代遅れの改正教育基本法【後編】〜バブル期の思考が未来の日本を損なう
僕自身は愛国心憂国心が強いほうだと思っていますが、もともと左であったこともあり、どちらかというと多様性を尊重するリベラル派です。多様性は秩序と同等か、むしろより重要だと考えているタイプですかね。それゆえ、筆者の考え方は結構しっくりきますね。
コメントを見るとアメリカの研究者から「アイデンティティをもたないトランスナショナル思想は胡散臭い」という指摘もあるのですが、そもそもアイデンティティという概念自体が欧米から輸入されてきたものであり、日本には存在しなかった概念ではないのだろうかということを考えると、アメリカの研究者も文化を論じる際に無意識にグローバルスタンダード、トランスナショナル思想に囚われているのではないかという気がします。結局、日本人らしいアイデンティティを持たないことこそが、日本人の本当の隠れたアイデンティティであるとも言えるのではないかと私は思うわけですが。
私は広田先生の指摘には比較的同意できますね。

ちなみに個人的な意見を述べさせてもらうと、武士道が日本人のアイデンティティであるという考え方には私は反対です。あくまで武士道は士農工商の中での士という階級の者が持つ考えであって、日本文化のほんの一場面にしか過ぎません。商人や農民が武士道を守っていたとは到底思えませんし、武士とてすべてがこの武士道を理想として生きていたわけでもないでしょう。また、武士そのものも、このような武士道をもたない商人や農民の存在無しには生きることは出来なかったわけです(大名の多くは商人から多額の借金をしていた)。また、現代あちこちで濫用されている武士道は、武士の生き方とは関係なく新渡戸稲造が勝手に創りだした概念であるという意見も数多くあります。武士道もアイデンティティの一部にはなりえるでしょうが、個人的には日本の文化やアイデンティティとは、もっと奥深くて簡単には定義することの出来ないものであると思っています。

成果主義は教育をどこに連れて行く
教育というのはスパンが長いゆえに、私は成果主義というものがもっとも似合わない業種の一つではないかなと考えています。