ペンはメスよりも強し

また当たり前のことを書いて恐縮ですが、この鉄則は忘れてはなりません。
最近では一部エリート層を中心に「マスコミが嫌いだから地上波や新聞は見ない」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、行政や政治など国を動かす世界ではやはり新聞というのが、現場の情報よりも絶大な影響力を持っていることは確かです。耐震偽装の問題に代表されるように、報道のされ方によって政府の政策は大きく変わりますし、その際に現場の声はあまり重視されません。なぜなら国民は現場よりも報道の言うことを信じ、潜在的に政府に政策の転換を求めるからです。
国民には例外を除いて報道しか情報を入手する手段がありません。したがって、国民が現場よりも報道の言うことを信じることは当然であって、これをもって国民を責めるわけには行きません。また、官僚や政治家はいくらバカといわれていても「国民のために」という強い使命感を持っている人が多いですし、そういう人でないと国政の激務は勤まりませんから、国民の潜在的な要求を自らの権力バランスと業務量の中で最大限それを実現しようとします。そのため、報道の意向が政策には強く反映されるのです。医療の世界でこれを例えれば「ペンはメスよりも強し」ということになります。


ペンを制するにはどうすればいいか。これは難しい問題です。現場から見て違和感のある報道に単刀直入に抗議を送りつけるという手もあるでしょうが、送りつける相手は新聞社だと思っていても、それを読むのは一人の人間です。人間心理として印象が悪くなり、さらに悪く報道される可能性が高いといえます(これは官僚に対して文章を送りつけるときにも言えます)。送りつけるとしても、受け取る人間がアレルギーを持たないように、ある程度下手にでなければ長期的には逆効果です。報道が現場に批判的な論調をしている以上、報道は現場に相当の不信感を抱いているということを前提に考える必要があるのです。

では、不信感を解消するためにはどうすればいいのか。まずは時間による解決という方法があります。しかし、それには長い年月がかかります。何十年も前の公害の問題がいまだにくすぶっています。完全放置で解決するにはあまりに長い道のりといえます。もう一つの方法は、事件の被害者に真摯な対応をし、現場自ら再発防止に取り組む姿を見せることです。被害者が納得する程度の対応があれば、報道は批判の後ろ盾を失ったも同然であり、それ以上現場を追及することはありませんし、むしろ好意的に受け止めることすらあるでしょう。ただし、現場にも予算的、人的な限界があるため、この方法が現実的に行えるかかは大いに疑問です。よっぽど運がいいときか、自滅する強い覚悟がなければこれはできません。最後の手段は不信感を打ち破るぐらいに、いいことをしていることをアピールする、ということです。医療では多くの人を救っているわけですから、この手法は可能性があるといえます。事実、日本の医療者に何らかの不信感を持っている人は国民のほぼ90%以上を占めると考えられますが、日本の医療が最高かどうかは別にして、相当高いレベルにあることは誰もが認める事実です。そのためにどれだけの努力がされているか、それをただ純粋に公表すれば一定割合に存在する意地悪い人を除いては、「結構大変なんだな」と思ってくれます。事実、医師が身近な中産階級の上部層、入院患者では医師には不信感を持っているが、医師が大変であることを理解している人は多いです(そのため、ORIX式に自由診療によって医療費を上げるべきと考える人は多い)。私自身が色々見て感じるところでも、要求文はあまり心に響きませんし、強い反感を覚えることすらありますが、惨状や努力を訴える文章にはやはり心を動かされるときが多々あります。

要求や批判を書き連ねるのも手ではありますが、それに同調するのは同業者と一部の理解者だけです。「見せる」「マスコミや国民の不信感を解消する」という観点から言えば、自分達がどういう努力をしているのかを純粋に書いた方が、多くの人の支持を得られ、長期的には有利ではないかと私は思います。

現場は少し知っていても、詳しくは知らない人間の視点から言えばこういう結論になりました。報道している人間も官僚も仕事以外の時間は「普通の一国民」であるということは、いかにマスコミや国民にいい印象を与えることが大事かということの根拠にもなると思います。
ペンはメスよりも強し・・・