地方の行方

多くの医療関係者は道路といった無駄な「公共事業」をやめて医療福祉などの「社会保障」へカネをまわすようにと要求しています。日本は戦後、全総などを通じて道路を急激に整備してきましたから、それの主張自体は間違ってはいないと思います。しかし、このような無駄な道路工事の恩恵を請けているのは誰か・・・ということを考えると、医療関係者の主張には構造的な矛盾があるように感じるのです。

皆さんは年末から年始にかけて道路工事が多くなるという現象を何度も目にされたことかと思います。この現象を見て「日本は無駄な道路工事が多い」と指弾される方もいます。ここで不思議に思わないといけないことは、「冬場だけ仕事が増えたとしたらその労働者は冬以外は一体何の仕事をしているのか?」ということです。すなわち、冬場の書き入れ時にどこからどんなに労働者が沸いてくるのかということを疑問に思わねばなりません。冬にだけ道路工事をするということは、冬には仕事がない季節労働者。そうです、その答えは冬場に農作業が出来ない地方の農業従事者なのです。

日本の農業はよく3チャン農業といわれます。儲けが少ない農業自体はじっチャン、ばっチャン、かーチャンがやって、若い息子達はみんな都会へ、そして、一家の大黒柱、とーチャンは地元でサラリーマンをしたり、自治体が発注する公共事業を首を長くして待っている。典型的な兼業農家の姿です。地方の農家にとって、道路工事といった公共事業は冬場の稼ぎになるだけではなく、よい道路が作られることでアクセスが良くなり、産業を誘致しやすくなったり、沿線の地価が上がるという一石二鳥の構図になっています。従って、どれだけ議員のセンセイが地元に公共事業を引っ張って来てくれるかということが地方にとっては死活問題になっているのです。実際、あの汚職追及に熱心な東国原知事ですら、「今の宮崎にとにかく必要なのは道路だ。道路がないと産業誘致も何も出来ない」と言っています。

今までの自民党天下り官僚たちともつるんで、これを忠実に実行してきました。だから農家から絶大な支持を得ていた。ところが、インクリメンタリズムが成り立たなくなって財政赤字が深刻化し、公共事業を抑えろという世論とともに、かつてのようには簡単に公共事業を引っ張ってくることが出来なくなりました。さらに追い討ちをかけたのが経済財政諮問会議を政策の中心に据え、地方の族議員を徹底的に叩いた小泉政権でした。経済財政諮問会議や規制改革推進会議は経済のグローバル化と自由競争を強く求めていたため、今まで保護政策がとられていた農業にも補助金の削減や、グローバル化の波が一気に押し寄せてきたのです。これにより、農家を中心とする地方は二重の苦しみにあえぐこととなりました。それが、いま地方の悲鳴として自民党の支持基盤崩壊へとつながっているのです。

大雑把な点は多いのですが、上をまとめます。

  • 貿易自由化やグローバル化による農産物の価格低下、競争激化
  • 農家の副収入だった道路工事など、公共事業への歳出抑制

という二重のの改革により、地方は悲鳴をあげています。さらに地方では医療崩壊なども急激に進行している。それが自民党には期待できないという地方の失望感となり、昨年の参院選における自民党大敗北へとつながった。

さて、ここで医療の話に戻ります。
多くの医療関係者は、日本は諸外国に比べれば医療にカネをかけずに公共事業にカネをかけすぎだということで、公共事業→社会保障へというカネのシフトを求めています。その一方で、現時点ではネット上に広がる医療崩壊を訴える医師の声は、どちらかというと崩壊が深刻な地方からのものが多く、また主張も強いという事実があります。もちろん、都市からも多くの医療関係者が「都市も例外ではない」という訴えをしていますが、「地方の医療の惨状」を医療崩壊の強力な証拠の一つとして使用していることに間違いはありません。しかし、そこには大きな矛盾があるように感じます。

すなわち、「地方の(医療の)惨状を改善するために」という目的を掲げつつ、医療関係者が主張する「公共事業→社会保障へのシフト」を進めたときに起こるのは「地方経済の破綻」であるという点です。地方が経済的にも崩壊してしまえば、地方の人々は都会に出て行くでしょうから、そもそも医療を整備する必要はないですし、逆に地方経済の崩壊を防ごうと思えば医療にそこまでカネを回せない。このジレンマをどう捉えたらいいのでしょう。少なくとも、医療関係者はどちらを望んでいるのでしょうか。

地方経済を殺すか、医療を殺すか。地方で働く医療関係者にとっては辛い問題だとは思いますが、その辺の方針がはっきりしないことには矛盾した主張をしているように見えます。さらに心配なのは、この矛盾した主張が先がない地方の人々を騙していることにならないか、ということです。「地方に医師を引っ張ってきます、地方に公共事業を引っ張ってきます、農業を救います」そう主張する地方の政治家は多い。しかし、ご存知のように国の財政は大赤字です。サブプライムを発端とする景気後退で2011年のPB達成すら怪しくなっている状況です。最近では、海外投資家からは「日本はもはや成長しようとする気すらない。構造改革も後退した。財政赤字もひどい」という理由からジャパン・バッシング(Japan bashing:日本叩き)ならぬジャパン・パッシング(Japan passing:日本外し)がおきています。もはやジャパン・パッシングではなく、ジャパン・ナッシング(Japan nothing:日本は無視してよい)であると主張するアナリストもいます。その状況で公共事業と医療の両方を増額することは事実上不可能です。そんななかで、医療関係者が地方の味方をしているように見せかけながら、実は地方を殺す策を主張していたということになれば、それこそ騙した言われても仕方がありません。少なくとも地方の味方をあまりしていない私でもかなりの罪悪感を感じます。

グローバリゼーション、すなわちフラット化した世界では、ある一つの分野に固執すると失敗を招きやすいといわれます。同じことをさらに低賃金でする国が現れれば、過酷な競争にさらされるためです。また、グローバリゼーションで生き残るためには、ジェネラリストであり、またスペシャリストである必要があるとされます。すなわち、普段は自分の専門分野を追求していくが、その分野が相対的に不利になればジェネラリストとしての本領を発揮し、別の分野や新しい分野へとサッと転身するということが、悲惨な事態から免れる唯一の道なのです。日本の地方はこの状況にあると私は考えています。どちらに進もうがあまり先がないのです。賢い人は地方を見切ってどんどん都会へ出てきています。一部で地場産業を盛り上げる試みをして成功している地域もありますが、大半の地域はそれに失敗するでしょう。したがって、地方の人々の将来を考えるなら私は地方→都市への転身をお勧めします。少なくとも地方中核都市には行くべきです。先祖代々受け継いできた土地・・・確かに手放すのはつらいし、先祖にも申し訳ない。でも先祖はこの土地を守ることと、一家の繁栄とどちらを望むでしょうか。グローバル化した社会では一つのこと、すなわち一つの土地にこだわれば失敗が待っています。雛見沢のような言い伝えがないのなら、つらいとは思いますが、故郷を離れるという覚悟もしなければなりません。その呪縛から抜け出してこそ、成功の可能性が見えてくるのではないかと思います。

最近、新興国の需要が高まっていることや中東情勢が不安定なことから原油価格が高騰しています。税金があるとはいえ、1リットル150円というオイルショック並みの価格になっています。車がないと生活できない地方ではこれは家計に重くのしかかります。更に悪いことに車はエネルギー効率が悪い。日本は京都議定書で決まったCO2の削減目標を達成できる見込みが立たず、海外から排出権を購入する準備まで始めています。一方で、都市では渋滞という悪現象もありますが、多くの人は鉄道や自転車といったエネルギー効率の高い輸送機関を使って生活をしています。生活に必要な各施設へも自転車で十分に行ける距離です。規模の経済により効率的な生活が出来ます。

私は地方を殺すか、医療を殺すかという二つの選択肢を与えられれば、都会の医学生ですから前者を選びます。世の中の流れもそういう方向に動いているように思います。でも、地方は殺しても地方の人は殺したくありません。事態がどうしようもなくなる前に地方の人々には新しい一歩を踏み出して欲しいのです。政府もこの動きに対して何らかの補助を出すべきだと考えます。車→道路→車→道路の悪循環で近年まで増え続けてきた公共事業の財源や道路特定財源を地方から都市へ、自動車から公共交通や自転車へという動きに積極的に使うべきだと思います。新しくまた効率的な社会の構築に向けて。