何が一番トンデモか

法医学のPBLをやってるんですが、30問近く設問があって、半分近くしか終わってません。簡単に書こうと思えば書けるのですが、特に医事法制の部分は最近はいろいろな異論や反論が出されており、法的根拠はもちろんのこと、双方の意見やその資料、最近の厚労省の動きや過去に出された通知を乗っけていくと、医事法制11問だけで30ページに達してしまいました。紙代が勿体ないので、割付両面印刷で枚数を抑えるつもりですが、膨大な量です。

で、ついでなので「医事法入門」という先日紹介した本に載っている各種判例も一通り調べてみました。最近ではもっと多くの判例が出ているはずですが、あくまで歴史的に重要なものだけを調べました。で、一番厄介だなぁと感じたのは「医療慣行」を「医療水準」としない平成8年の最高裁判決です。医療慣行というのは「医療上の要因だけではなく、社会的要因を含めたもの」とされるわけですが、この判決では「医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものでなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない」としています。これはすなわち理想論=机上の空論を医師に注意義務として課していることと同じになります。

色々トンデモ判決というものは出ているようですが、社会システムを考えた上で最悪だったのはこれかなぁという気がします。

そもそも、どんな分野に於いても絶対安全というものは存在しないわけで、安全向上のスピードというのは各企業や個人の努力程度によります。従って、何かまずいことが起きたときにその責任を問われるとすれば、「一般的な同業者と比べてどの程度、安全を向上させる努力を怠っていたか、あるいはどの程度安全水準が低かったか」ということによって総合的に判断されるべきものです。私がJR西を指弾していたのは、周辺の私鉄や他のJR各社と比べて、経営体力が比較的高いにもかかわらず、観察していると明らかに安全水準が劣っている部分が散見されたり、無茶なダイヤ設定をしていたということによります。すなわち、比較基準は同業他社の「慣行」であって、理想論に基づく「水準」ではないのです。だから、経営体力が弱く、また他社と同程度の安全水準を保っていたのならば、事故を起こしても決して強い批判をすることはありません。どんなシステムにも必ず抜け穴は存在するわけですからね。

法曹界では一度出た最高裁判例をひっくり返すのは相当の理由が要るようですから、法曹界を批判はしたくないし、この現象は社会全体が責任を負うべきシステム的なエラーだと考えていますが、そのエラーの起源はこれじゃないかと思った今日この頃でした。もちろん、読んでいただければ分かりますが、別にこの判決自体にはそんなにおかしいところはないです。だって、医療水準と医療慣行に僅かな乖離が生じてもおかしいはないわけで、両者が同じだと直ちに言うことはできませんよね。しかし、小さなノイズが予想外に増幅されるというシステム特有の問題(属にカオス理論などとも言われるわけですが)を考えると、これがおそらく、現在の混乱ぶりの元になったのだろうと推測します。

だから、何だということですが・・・矛盾するように聞こえるかもしれませんが、この裁判官に責任は求められないと思います。僅かなノイズを発生させただけの存在ですから。システムって怖いですね。複雑化したシステムを論理だけで裁いたり支配しようとする、法の考え方がもはや限界に達しているような気さえします。かといって、何か代わりになるものがあるかというと、それもないんですが・・・。