そろそろか?

苦悩するインドネシア 鳥インフルエンザで世界最多の死者
鳥インフルに関してはカウントダウンが始まっていると僕は見ているんですが、さて何ヵ月後、何年後でしょうか。ちょうどその頃日本では医療崩壊がピークに達しているような気もしますが。まぁ、そうなる運命だったんですよね。時期的にも環境的にも。犠牲者は大量に出るでしょうし、私とて決して例外ではないと思っていますが、システムとして成り立たなくなった以上、一度リセットされた方が良いかと思います。ついでに日本の法制度も一度リセットして過失の概念を変えて欲しいんですが。混乱に乗じて何か出来るかもしれませんね。厚労省も封じ込めは難しいと考えているようですし、パンデミックが起こるのは時間の問題でしょう。自然って皮肉ですね。

ちなみに私は重過失でない限り、損害賠償は仕方がないにしても、過失を罰するべきでないという立場を中3の時から取っています。中3の時は僕は医学部に行くつもりは毛頭ありませんでしたから、医療過誤訴訟とは関係なくそういう立場を取っているということを強調しておきたい。法学部の人間や一部の遺族からしたらトンデモ論のようですが、近年マスコミの弊害が大きすぎて、この問題を真剣に考えないといけない時期に来ていると確信します。

警察も過失を立件している暇があれば、検挙率が下がっている故意犯罪を取り締まるべきかと思いますがね。どっちが社会にとって悪なのかと。優先順位という考えはないんでしょうか。まぁ、過失を立件したら表彰されるぐらいですから、内部での順位は高いのかもしれませんが、どういう価値観で動いているのか気になります。

で、医療者の過失を罰するべきではないというのは確かに正論ではありますが、政策決定の現場では当然、涙で訴えてくる遺族や官僚よりも法律知識が豊富な法律家の方が力が強いわけで、そう簡単には状況はひっくり返せない。多くの人が忘れがちなことですが、「官僚さんは法で社会を統制することを仕事としているわけですから、どちらかというと法というフィールドで生きている。従って、法律知識では少なくとも同等かそれ以上を行く弁護士や法学者には逆らいづらいし、それどころか、いろいろと法律上の不備を突っ込まれてタジタジしてしまう」わけです(なぜ官僚に東大法学部出身者が歓迎されのかということはいうまでもありません)。業界<官僚<法律家という力関係の構図があるわけですね。もっとも、法律として出してしまえば法律家も官僚には逆らえないのですが、現在は有識者会議の大半に必ず法律家が組み込んであるので、実質的に官僚<法律家です。

今の状況は法曹界vs医療界の戦争になっているという見方もありますが、行政の現場でバトルをすると、この力関係により業界<法律家となってしまうのは明白です。司法でバトルをすると、当然裁くのは法律家ですから、業界<法律家です。三権のうち残ったのが立法でのバトルですが、現在の立法は行政に依存している面が強く、たいした利権にもならない医療の味方が増えることは期待ができない。残るは現場レベルでのバトルということになります。かつてはストライキのようなものでバトルをしていたわけですが、今ではそういう手法が取りづらいため、サボタージュすなわち逃散によりバトルをしているわけです。行政や司法に従順して、不可能な時点で逃げるというのはエネルギーを浪費しないよい戦術だと思います。医療崩壊は戦いの手段としての側面を持っています。だから、僕はあまり崩壊を悲観的に考えてません。

「崩壊を是認するなんて」という倫理上の問題を指摘される方もいらっしゃいますが、システムの崩壊は時代の流れによるところが大きい。そういう類のものは本質的に個人や一業界の責任ではないし、そもそも善悪といった価値基準で判別すべき問題ではありません。歴史を顧みても人類はシステムの創生と崩壊というサイクルを繰り返しながら発展してきたわけですから、むしろあるシステムの崩壊は正常な現象ともいえます。まったく悲観的になる必要はありません。もちろん、このサイクルでは崩壊のphaseを中心として必ず誰か犠牲者が出ます。しかし、それは自然の摂理です。犠牲になった方には悪いですが、「運が悪かったんだ、身をもって盾になってくれてありがとう!」としかいいようがない。どうやっても犠牲が出てしまう以上、犠牲の責任を問うのではなく、その犠牲をどこまでバネにして次に生かせるか、それを考えなければなりません。そうすることで犠牲の価値を見出し、犠牲者に最大限の忠義を尽くすことになるからです。

話がずれてきましたが、今現場に立っていない私が少なくともやるべきことは、崩壊の様子とその対応を中立的視点からよく観察し、一体そこにどのような力が働いていて、またどういう問題が潜んでいるのかということを記録し、偏見を出来るだけ取り去った分析をしておくことと考えています。分析対象には医療界の動きや行政の動きも含まれます。次のシステム構築に生かすためにです。皮肉ったりその場限りの批判をしてもあまり意味がないし、余計に不快になるだけなので、そういう活動には加担はしたくありません。生暖かく見守るのではなく、冷徹に見守るべきかと私は考えます。分析と謀略をするために。



うん、随分と自分でマインドコントロールができるようになってきました。いい傾向です。最近は「崩壊は規定路線。防ぎようがない。崩壊を活用して次に生かす策略を考えろ」と自己暗示をかけています。いわゆるプラス型の自己暗示です。医療崩壊も1年ぐらい考え続けると、マインドコントロールが効くようになってきましたね。かつては受験のときに趣味から遠ざけるために「鉄道趣味は面白くない」という暗示をかけて、ほぼ脱鉄に成功しましたが、今回もいい感触です。けど、マインドコントロールは結構なんだかんだ言って心にゆがみを生じるので、あんまり頻回に使いたくはない手段ではあるのですが・・・。ぶっちゃけた話、自己暗示であんまり冷酷さを植えつけすぎると、どこかで暖かさを補充しないと僕の場合は心が壊れてしまうので、その辺が難しいのです。個人的には他人に親切にするということが自己の暖かさの補充になることが多いので、そういう活動をできるだけしたいなと考えてますが。ちょっとしたことでいいんですよ。電車で席を譲るとか、道案内してあげるとか。自己満に過ぎないと言われればそれまでですけど。