誠橋の元町長と地方と

民主党の菅氏が自民古賀氏の地元で通称「誠橋」と呼ばれる橋の視察に行ったときの様子をテレビで報道していました。元町長が現れて、「この道路は途中で途切れている。延ばしてくれ」と陳情していました。まぁ、そこまでは理解できます。

ただ、同時にこんなことを言っていました。
「作った道路でいかにしてここに人を呼び込むか、それを考えて欲しい」
聞いててトンデモにもほどがあるなと思いました。

あんな山間部に都会の誰が好き好んで住みたいと思うでしょうか。たとえ立派な橋や道路ができたとしても縁でもない限り、多くの人は住みたいとは決して思いません。しかも、近年非常に少子化が進んでいます。大都市である大阪ですら人口が減少気味であるにもかかわらず、そんな辺鄙なところに若者がわっさわっさと行くわけがない。せいぜい物好きが行く程度でしょう。この元町長は少子化という言葉を知らないんじゃないですかね。本気で疑いますよ。「この道路で人の流出をいかにして止めるか」ならまだ理解できますけどもね。これからは人口減少時代。減って当たり前、維持できたら万々歳の世界です。地方中核都市や大きな地方中心都市だって人口維持には苦労している。ただでさえ魅力の乏しい村落部に人を呼び込むなんてことを語る時点で、現実を見ていないなと思いますね。

もし、そんなに人を呼び込みたいのであれば人を輸入する、すなわち外国人労働者を何百万人規模で受け入れることを本気で考えるべきです。道路を作るよりそっちの陳情をする方が先だと思いますがね。なぜいつも橋やら道路やらハード面ばかり陳情するのでしょうかね。ハードばっかり作ってソフト対策を怠った結果、町村部に医者のいない病院ばかりが乱立したということを忘れているんでしょうか。何も学んでない。学ばざるものカネを与えるべからずです。

自民党の二階氏がこんな発言をしたそうです。「道路が整っている都会の住民がムダだというのはおかしい」と。一理あるようにも見えますが、よく考えると大きな間違いです。地方の道路をその地方の住民から集めた税金のみで作るのなら我々都会民は一切文句を言うつもりはありません。しかし、現実にはこれらの道路は都会の住民から集めた税金が多く投入されているのです。当然、ステークホルダーなのですから文句を言う権利はあります。
また、インフラは一旦作れば何十年も使い続けなければならないものです。例えば朧橋(誠橋)が50年後果たして使われているでしょうか。日本が戦争をして焼け野原にでもならない限り、淀川大橋やレインボーブリッジは今後も使われ続けるでしょう。しかし、朧橋が果たして50年後使われているかと考えると甚だ疑問です。使わない橋のために子孫に膨大な借金が残される。絶対に回避せねばなりません。「都会の論理だ」「地方切捨てだ」と言う前に、我々の子孫がこれをみてどう思うかということを考えるべきです。この国は今生きている人間のためだけのものではありません。そのことを二階氏にはもっと考えていただきたい。

民主党と同じで私も全ての道路がムダだというつもりはありません。しかし、今後の町村部の発展や衰退をよく吟味した上で、将来にわたってちゃんとした需要が見込めるものだけに投資を行うべきだとは思います。少子化の時代、衰退して消滅する地域が発生するのはもはや避けられないことです。いま、やるべきことは、どこを強化して残し、どこを消滅させるかを選別することです。そうしなければ、残れるはずの地域まで共倒れで消滅してしまいかねません。まさしく地方のトリアージが必要なのです。

僕自身は地方(特に町村部)を無くせと言ってはいますが、旅好きであることからも分かるようにそういうところに行くのは好きです。都会とは違ったものがありますからね。なくなる地域があるのはさびしい。でも、これは時代の流れです。グローバル化少子化に対して現状では我々はどうすることもできない。それならば、共倒れして全部消えてしまう前に残すことができるものはそこに力を集中させてちゃんと残しましょう、というのが私の考えです。これからの時代は何事にも覚悟が要ります。実はすべてが非常事態なのです。あまり実感はないですけれどもね。

大阪だって50年後にはどうなるかわかりません。今は賃金の良い名古屋と東京に人が増えつつあり、大阪からは人が流出しています。東京の地下鉄でも最近は大阪弁が普通に聞こえるそうです。交通の便が良くなり、本社機能を東京に完全に奪われてしまいました(道路を作ると地域の衰退につながることがあります。明石海峡大橋開通による淡路島や徳島が典型です。ストロー現象といいます)。最近では某製薬会社など研究開発の部門ですら人材が集めやすいということで東京にシフトしつつあります。日本の二大都市圏が名古屋と東京で、その次が大阪と福岡になっているという日が本当に来るかもしれません。この時代、衰退の屈辱を味わっているのは地方だけではないのです。だからこそ言いたい。早急に選別をすべきだと。

少子高齢化が進むにつれ、「国土の均等ある発展」という考え方自体が机上の空論であり間違いであるということが分かってきました。規模の経済という大原則があるからです。これからは「選択と集中による発展」が重要ですし、政策もその方向で転換していかなければなりません。道路問題が「地方切り捨て」の一種であることをはっきりと認めて、同時に「選択と集中の必要性」や「残すものは残す」ということを説明し、それが日本にとって避けて通れない道なのだと言える政治家が出てきてくれることを切に希望します。選挙があるので難しいとは思いますが・・・。