領空侵犯級の大胆な提案

そのうち実現したらいいなぁと思っている事案

1.国民に解剖見学を義務付け

ゲーム上又はたまにある葬式でしか死を知らない人々が死を軽んじたり、逆に曲解しておかしな死生観を持っている現状を鑑みて、裁判員制度同様に全国民に人体解剖見学を義務付ける。それにともない、異状死は全例解剖する。さらに深刻化する臓器不足を解消するために宗教等の合理的な理由がない場合、臓器提供を義務付けることも検討する(医学的に不適である場合は除外する)。医師以外の病理・行政解剖資格の新設も。

解剖見学が無理なら、大阪や東京の目立つ街角に広告として解剖の映像を流してもいいかもしれない。世界でもおそらく初の試みになるはずで、一度やってみたらいい。おそらく国民の中で何かが変わるだろう。まぁ、実現性を考えればこの提案はなかなか難しいが、少なくとも中学生か高校生には人の死の現実を見せた方がいいと思う。

2.中学で宗教の授業を義務付け

人は何らかの心のよりどころや不満のはけ口が必要。日本では宗教がキリスト教イスラム教といった世界的にメジャーな宗教ですら忌避されがちであり、さらに都市化と大量消費社会化、グローバル化に伴って儒教的な道徳観も衰退した結果、よく分からない新興宗教に人々が走りがちになったり、特定の人々に集中的に不満をぶつけたりして、社会全体が疲弊する傾向が顕著である。国民や国家上層部が宗教を否定すればするほど、社会に生じる矛盾を吸収する媒体がなくなり、余計におかしな宗教やオカルト、破壊的思想にのめりこむ人が増える構造になっており、オウム事件もその構造と決して無縁ではない。戦前から高度成長期時代の単純な考えに基づいた公安による宗教の押さえ込みは、現代ではもはや意味がなく、むしろ社会の負の側面を吸収するフィードバック抑制系を抑制するために余計に危険であると考えられる。(最近、共産党マルクスが若者の間で人気らしい)

逆の発想から思い切ってメジャーな宗教や民俗宗教(憲法に抵触するので、特定の宗教でなく宗教全体)を国家的に推奨することで、これらの問題が解決しやすくなるのではないか。人々はどこかに心の安住と不合理な現実への合理化を求めてさまよっているように見える。必要なら憲法の改正をしてもよいのではないか。
一般的にムラではムラの論理と儀式的宗教が、中程度の都市では法が、大都市では世俗的な宗教が人をまとめ、行動を規定する。その原則を考慮した運用が必要であり、大都市が多い日本ではある程度世俗的な宗教の普及を進め、格差社会少子高齢化グローバル化によって生じた社会の負の側面の吸収をこれらの宗教に担わせることが必要かと考えられる。