同情してしまうこの事件

繰り返し頭下げ謝罪、少年の父が会見 岡山駅突き飛ばし
軽いイジメでしたが、いじめた経験もいじめられた経験もある人間として、一つ言いますが、やっぱり「いじめ」は深層心理で大きな禍根を残します。どこかで何かそのときの記憶が渦巻くんですよ。いじめの場合、加害者はともかく被害者は明確ですから、被害者の側では明らかに強い被害者意識が生まれます。一度ついた被害者意識というものはいじめの構造が解消したとしても簡単に解消するものではない。普段は心の底に隠れていて「自分は幸せだ」と思っていても、ふとしたきっかけで爆発させたくなるという状況は十分に考えうるわけです。

いじめられた人間は普段はターゲットとして目立たないよう隠密に行動するのですが、何かが吹っ切れると予想もしない行動に出ます。僕自身の経験から言えば、小学校のときに1対1でいじめていた同級生が、いつもどおり詰め寄ったら突然切れて大きな水筒を振り回したというのがありました。いじめというのは相手に相応の反撃をさせないがゆえに「いじめ」であるわけですから、その瞬間に溜めに溜めたストレスを一気に爆発させたのであろうということは容易に推測できます。僕自身がいじめられたときは、かつてのいじめた経験と親のアドバイスで徹底的に相手を「無視」する作戦(足を引っ掛けられようが、後ろからつねられようが、近くで複数から悪態を突かれようが徹底的に無視)に出て、1ヶ月程度でいじめの構造は解消し、特に相手に吹っ切れることも勿ったですが、その後はターゲットにならないようできる限り隠密にしていました。

ニュースやネットでは茨城県の事件とこの事件が類似構造視されていますが、僕はこの2つの事件はタイプが違うと思います。その理由は殺害の方法が大きく異なるからです。茨城の事件では、犯人は刃物で直接複数の人を殺傷しています。これはとても度胸のあることで死や殺人に対する恐怖心があまりないのではないかと思います(それゆえにゲームとの関連が取りざたされる)。

一方で、今回の事件は一人の人を線路に突き落とし、やってきた列車に轢かせるという方法で殺人を犯しています。本来ならば彼は果物ナイフを所持していているわけですから、それで直接適当な人を刺してもよかったわけです。ところが、3、4時間も殺人をするか迷いに迷った末、果物ナイフで刺さず、人を突き落とし、自分ではなく別の「列車」に殺人をさせているわけです。ここに私は心の弱さというか、いじめられたおかげで「犬をも怖がる」、不謹慎かもしれませんがある意味「善良な」性格が出ているということを感じるわけです。さらに「誰でも良い」殺人ならば地元ですればいいのに、わざわざ遠い遠い岡山まで来ている。知り合いがたくさんいるような場所でやりたくない、そういう環境では到底できそうにない、というようないわゆる周囲を気にする恐怖心のようなものが強く出ているように思うわけです。(逆に遠くに来ることで、もう後戻りできないと自分をより環境的に追い詰めて殺人に向かわせたということもありうるだろう。もし、遠くに行ってノコノコと帰ってきたのなら父親から必ず「何があったのか」「何しに行ったのか」と聞かれることは分かっていたのだから。)

まぁ素人の推測ですから、犯罪心理学的にはどうなのかは分かりませんが、後者の事件にはどうも同情してしまいます。

ちなみにあてもなく電車で終着駅までやってきて、殺人を犯すという事件が長浜市であったように思います。あんまり大きな事件じゃなかったので、ネットで検索しても見当たらなかったのですが・・・。どの事件だったかな。