興味深い発言

母子殺害元少年の「理解不能」発言 「死刑制度認める、でも死刑になりたくない」
光市の事件で少年が次のようなことを述べたそうです。

僕は死刑存置主義者ですから。終身刑も検討して欲しいと思っていますけどね。ただ判例として僕が死刑になるのは避けたい。ほかの少年少女の事件にも大きく影響するんですから

なるほど。私はこの少年の考えがなんとなく分かります。「自身は死刑になってもいいと思っている、だが、少年少女が2人殺しただけで死刑が適応されるという判例を作るのはまずい。だから今回は死刑になって欲しくない」
おそらく、こういうことだと思います。まさに一つの裁判が与える社会的な影響を熟慮した真っ当な意見だと思います。

遺族が

(被告の)更正の可能性は十分にあると思います。だからといって刑を減刑したり、社会復帰できるということと刑罰は違うと思います

と述べていますが、それは成人には確かに当てはまるでしょう。しかし、果たしてまだ未熟さと予測し得ない不安定さが残る未成年にそれを適応していいかという点を考えれば、この発言には疑問を感じます。

個人的に今回の事件を見ていてもっとも気に食わなかったことは、世論やマスコミの動き、そして司法の動きです。「悪いことしたら全部死刑」というような非常に単純で浅はかな考えでモノを言っている人々が相当数いると思いますし、「遺族の言うことは全部正しい」という遺族絶対主義も問題です。さらにそのような浅はかな世論の圧力に司法が屈しているというのが最も大きな問題で、司法の信頼性に大きく関わると思います。国家権力という強権を振りかざす以上、世論や国民がどうであろうと自らの考えを貫き通すのが法曹界の義務であったにもかかわらず、従来の考えを覆して世論に屈服したという点は日本の裁判の歴史の中では大きな汚点になると思います。世論でコロコロ変わる司法なんぞ私は信頼したくありません。コロコロ変わるのは行政と政治だけで十分です。